この連載について
超優良企業の現在・過去・未来。四半世紀にわたってキヤノンを率いる御手洗冨士夫会長兼CEOが、過去の成功体験、現在の伸び悩みについて激白。令和の時代における逆襲シナリオを自ら解き明かす。
キヤノン株式会社(読みはキャノン、英語: Canon Inc.)は、カメラ、ビデオをはじめとする映像機器、プリンタ、複写機をはじめとする事務機器、デジタルマルチメディア機器や半導体露光装置(ステッパー)などを製造する大手電気機器メーカー。 ウィキペディア
時価総額
2.97 兆円
業績

1960年代当時の御手洗さんは、信じて行動されたのだなと感じました。
本気で、「米国市場で一番になってやる、一番になれるはず」
と思っていらっしゃったんだと考えます。
インドというAwayで戦っている自分ですが、
本稿を読んで
大きな勇気や一つの羅針盤を頂いたと
思います。
私のいるインドの20代~40代の起業家も将来は明るいと信じています。
ひとりひとり、目がキラキラしている。本当に!
一方、日本に帰国すると、日本人はあまり目がキラキラしていない。
日本も、日本人一人一人が、
自分の将来を明るいと思える社会に、
なっていければ良いと強く思います。
また、自分に何ができるか考えたいと思います。
「アイ・エッグ」のエピソードはとても面白いが、そうやって60年代くらいから日本のビジネスパーソンが世界への道を切り開いていった。
そして、これからどうしていくのか、が気になる。目次を見る限り連載最終日に記載がありそうで、どんなことが語られるか。
近年の停滞の原因を知るためにも、まずは平成の大躍進の裏側から解き明かしていきます。
駐在あるある満載で、自分ごとのように共感してしまいました。
今日もお仕事頑張ろう。
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>最初のオフィスは、マンハッタン5番街46丁目角のビルの2階にありました。目抜き通りの5番街とはいいながら、ビルは古くて汚くぼろぼろで、昼間からネズミが出るようなところでした。
そこで、数人のアメリカ人社員と、英語もろくに話せない日本人(私も当初はそうでした)が肩を寄せ合って貧乏生活を送っていたのです。
>私は経理担当でしたが、とにかく英語に慣れようとして、営業にかかってくる電話も片っ端から取るようにしていました。
すると、ある日、アメリカ人のマネージャーが「頼むから電話を取らないでくれ」と言ってきた。
「何を言っているのか全然分からない、という苦情が客から来ている。営業妨害だ」と告げられ、いたく自尊心を傷つけられたものです。
>経理だけでなく人事・総務も担当していたので、目が回るように忙しい。大学で授業を受け、夕方5時ごろに会社に戻り、夜中まで書類の整理に追われていました。
>タクシー運転手の取り決めがあって、マンハッタンからタクシーで下宿に帰宅するには、途中のクイーンズボロ橋でクルマを乗り換えなければなりませんでした。
そこにヤシカの自社ビルがあり、夜は壁一面のネオンサインが瞬いています。
毎晩タクシーを乗り換えるたび、それが嫌でも目に飛び込んでくる。「なにくそ、今に見ていろ!」と闘志をかきたてられたものでした。
>「定期預金の利息以上に稼がなければ、そもそもビジネスをやる価値がないんだな」と痛感させられました。
>東京オリンピック後の不況により、本社の業績が悪化。資金のメドが立たなくなりました。
直販計画は立ち消えになり、ベル社との契約は更新されることに。私はハシゴを外されたようなかたちになってしまいました。
>後輩の田中稔三(現キヤノン副社長)に経理を任せることに決めて、日本から彼を引っ張ってきたのです。
田中はテニス仲間でもあり、彼が来ればテニスもできて一石二鳥。私は電卓営業に注力するようになりました。
続編を楽しみにしておきます。