【マレーシア流】多様性とは「お互いに口を出さないこと」
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マレーシアは、「宗教の自由」が憲法で定められてはいますが、イスラームの公的な地位と「先住民族」とされるマレー人の特権的優遇を受け入れたうえでの「自由」です。その前提を受け入れない者はマレーシアの永住者としてやっていくことはできません。
マレーシアにはイスラーム(60%)、仏教(20%)、キリスト教(10%)、ヒンドゥー教(6%)などのコミュニティがあります。それぞれの自由は認められていますが、てんでバラバラなだけでは国という機構が成り立つわけがありません。イスラームの支配的地位を受け入れたうえで、各自が自治を保障される、という制度です。国王も首相も、絶対にイスラームを信仰していなければならないし、軍や警察のトップについても同様です。
マレーシアで多民族・多宗教の共存がうまくいっている(とマレーシア政府自身が言い張っている)のは、周辺国のように数万人の死者が出るような民族・宗教間の暴動や武装闘争が起きていないからです。実際、インドネシアでは1965年をはじめ何十万人もが殺されたし、フィリピンやタイでは武装闘争が継続中です。
マレーシアは強力な警察力による監視と厳罰、メディア統制、民間宗教団体の絶えざる圧力などによって、そういう暴動や武装闘争を抑え込んでいる国です。政府批判はリスクが大きく、学校教育でも、全員が政府の公式見解を暗記させられます。実際は、大多数の国民は「自分の考えを持つ」、どころではありません。批判的思考は忌避され、政府であれ民間であれ、公的な場では、責任のある職位にあれば、公式見解をオウムのように繰り返すスキルが求められます。
ちょっとした事故や誤解で衝突が起きることも多く、監視を徹底して防止しないと、連鎖的に暴動が起きて死者が出る事態になります。大変にストレスフルな社会です。
短期滞在で都市部のコンドミニアムに数年住むだけのお客さん外国人であれば、こういう宗教、民族間の日常的な確執からは離れた空間で気楽に過ごせるでしょう。お客さんに期待されるのは、金を落として税金を納め、衝突を抑止する政府に貢献することです。野本さんの『日本人は「やめる練習」がたりてない』を拝読しましたが、この本は「マレーシアに行ってみて著者が等身大で経験したことから、翻って日本について感じること」を書いたエッセーのような本であって、マレーシアの社会全体について語ろうとしている本ではありません。それをこういうタイトルで焼き直して、専門家をPROに構えているNPで公開すれば、専門家側から批判的なコメントが出てくるのは出す前から分かっているはず。この特集全体を見ていて、塩崎先生の発信も読み手としては勉強になるので、編集サイドはコネクションがあるなら野本さんが塩崎先生にインタビューする形式をとるとか付加価値上げる企画をしたらいいのに(私ならそうするのに)と思いました。
違うということがDifferentでなくWrongとみなされる点が日本組織や社会で最も苦手な点です。
議論でなく注意、たしなめが多いのも同様。
過干渉せずほっとくことも優しさ、レスペクトのあり方の一つ。
日本一均質性の高い組織が霞ヶ関、均質性こそが日本社会を滅す病という村木厚子さんの言葉を思い出す。