「チャイナ・アズNo.1」を、私が書かなかった理由
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『ジャパン・アズNo.1』という本を見て日本に好感を持つ米国人はいなかったでしょう。この本の効果は、日本が台頭する前に手を打たなければならないという危機意識を煽ったことであり、プラザ合意や日米構造協議を促したと見るべきでしょう。日本人に最大限好意的な米国人であっても、日本の長所を米国社会が取り込んで、日本に追い抜かれることを阻止しなければならない、という参考のされ方をされたでしょう。これがまさに、ヴォ―ゲル氏がこの本を書いた意図だったでしょうし、この本が日本で持て囃されて、日本人が「日本スゴイ」と言い出すきっかけになったのは、むしろ思わぬ副産物だったでしょう。
米国が中国に追い抜かれるのは阻止しなければならないとして、中国から取り入れるべきことは何かあるかというと、ヴォ―ゲル氏の価値観からは、あまり見出せなかったのでしょう。というよりも、中国社会はあまりにも多様であり、教育一つとっても、「中国人家庭の典型的な教育」といえるものはないでしょう。企業や研究のあり方にしても、そこにある種の合理性はあっても、米国人が、あるいはユダヤ人であるヴォ―ゲル氏自身が取り入れたいものではなかったのでしょう。
そして、現代中国は、良くも悪くも毛沢東と鄧小平という、異常に傑出した個人によって左右されてきました。このことなども、米国から見て理解しておくべきことではあっても、見習ったり取り入れるべきこととはどうしても思えなかったのでしょう。私もこの2年ほど中国テックすげー、を言わなくなっている。そして「チャイナアズナンバーワンの代わりに鄧小平を書いた」というのもまた、先日私が出版した稚著「テクノロジー思考」において中国テック隆盛の源流として鄧小平の改革開放を書いたアプローチと類似しており、無論議論の対象がマクロ経済とテクノロジー経済圏と異なるものの通底する着眼点に大いに共感、感嘆した。
氏いわく、ハーバード大学は、中国の清華大学や北京大学をライバル視せず。
真の競争相手は、米国のスタンフォード大学とのこと。
何故なら、現在の中国の政治状況が続けば
中国では学問の自由もなければ自由に発言もできず、
外国の学者や若者は中国の大学に行きたいと思わないため。
たとえ、中国政府や大学が、
巨額の資金を投じて海外留学組を
本国に呼び寄せたとしても。
ヴォーゲル先生の説が正しいとすると
政治的な自由は、
国のアカデミック・教育レベルに影響を与え、
ひいては国力を左右する。