【教養】今こそ学ぶ。液晶産業が生まれてから、消えるまで
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注目のコメント
<追記>
・JDIが当初順調・・・ウソ!、厚化粧
・ディスプレイの部品売りはダメ
メモリーでは、非キャプティブでも、成功例が多く(むしろ、中心)、水平分業が進んだが、ディスプレイでは、TVでは、水平分業と垂直統合が混在しており、EMSも多くない。スマホでは、全体で、水平分業が進んでいるが、階層間での、収益格差が大きい。画像センサーでは、トップのソニーやサムスンはキャプティブで工場も自前が中心、オムニビジョンは、水平分業で、ファウンドリモデルである。
ディスプレイでは、BOEなど中国勢のも、水平分業で成功(実態は、中国全体で見れば、中国TVメーカー向けに疑似垂直)、TVでは韓国は垂直統合、スマホ向けには、日本や台湾は苦戦である。スマホ業界全体では、EMSやファブレス・ファウンドリモデルが進んだが、ディスプレイは本質的に、キャプティブが重要なのだろう。
<もと>
88年頃から、ウォッチし、89年に液晶が95年1兆円、2000年2兆円を予想して的中させ、97年頃「フラットパネルディスプレイ最前線」著書の私としては、不満な記事。特に、。2005年以前が不満。
そもそも、液晶といっても、パッシブとアクティブがあり、パッシブには、ASTNが主流で、アクティブは、TFTがあり、エプソンがやっていたMIMがあり、その中で、シャープはシェア3位だが、TFTに傾注して成功した。
鷲塚さんの功績、また、離陸成功には、パチンコ産業があった。
このあたりの90年代前半の話が全くない。
また、95年以降では、日本がやられたのは、モニタであり、ここでサムスンが台頭。
パネルとTVは、分けて考えるべきだが、ゴッチャになっている。
設備投資でいえば、シャープ堺が、10Gでなく、6Gであれば、違っていただろう。
NECから天馬への技術移転の話も大きかった。
さらに、液晶産業といった場合、材料は、まだ日本が強いことの分析がなされていない。様々な方のコメントを読むとやはりディスプレイの影響力、関わっていた人の数の多さ、拾いきれないエピソードの多さを感じますね。。。全3回くらいにしないとまとまりきらないのでしょうけども、1回でやるとすれば、よくまとまっているのではないかなあ、と感じた次第です。
あと、まだ日本の国内には小さなラインばかりですが、液晶ディスプレイを作る会社はJDIやSharp以外にも残ってはいます。パナソニック姫路、京セラディスプレイ、三菱、オルタステクノロジー、などなど。完全に無くなったわけではありませんが、往時の賑わいではないのは確かです。
また、材料メーカーの話を入れ込んでいくともちろん、日東電工、住友化学、富士フイルム、JSR、東レ、旭硝子などなど語り尽くせない話があるでしょうし、今後はそうした材料や装置メーカーが海外のパネルメーカーと渡り合っていく、という流れがあるのでしょう。
でもワンスライドできれいにまとめようとするともっと長ーくなってしまうのでしょうねえ。。。
若林さんが言及している鷲塚さんについては下記のような経歴。
・液晶の開発と量産化に長年携わった。
・「胸ポケットに入る電卓」をめざし、73年に世界初の液晶電卓を製品化して大ヒット
・88年、当時としては大画面の14型TFT液晶を開発。
・ノートパソコン「メビウス」や携帯情報端末「ザウルス」に搭載され、その後の液晶テレビ開発の土台を築く
また、下記記事も面白かった。
https://people.weblogs.jp/ppf/2007/11/post_7514.html
http://www.kwansei-ac.jp/iba/entre/library/pdf/l_02_01.pdf
https://www.rieti.go.jp/jp/events/07031401/pdf/3-2_nakata.pdf
あと、有機ELでなぜJDIは出遅れたのか?というところは考察したいところではある。
プラズマやブラウン管に注力していたパナソニックやソニーがどういう対応をしていたのか?クオリアは?トリニトロンは?ベガは?FEDは?SEDは?キヤノントッキは?三洋電機は?とか言い出したらまさに「キリがない」んですよねえ。今や、孫正義さんの恩人としての方が有名になった?佐々木さんの名前をここで見るとは思いませんでした。
敗戦の跡を語るのは簡単ですが、その始まりには、産業を立ち上げる、技術者たちの熱く、果敢な挑戦があったことを忘れてはなりません。特に、一つの技術が産業化するまで、ここまでの苦労があるのに、敗れていくときのあっけなさといえば、諸行無常としか言いようがありません。。。