新着Pick
437Picks
Pick に失敗しました

人気 Picker
生まれた頃から当たり前のように開催されていたパラリンピックですが、その歴史は意外とまだ浅く、
70年前に戦争で負傷した患者の治療のためにスポーツをやろう!と言いはじめた医師から始まっています。

そんなパラリンピックの礎を築いた医師と、
障害者は隠しておくべきもの、という時代に
東京パラリンピック開催を夢見た日本人医師、
二人の医師をイラストストーリーで紹介しています。

どんなに風当たりが冷たくても信念を貫き通す
両医師の強さはまさにイノベーター。

2020年に向けて知っておくと大会の深みが増すと思いますし、
人に話せるネタになるかもしれません!
「体調を崩して余病をおこすことになる」

過去にこのようなことが広く言われていたことに、全く疑問を持ちませんし、もしかすると2019年現在未だにそのようなことが定説として言われてしまっているところもあるかもしれません。

腰痛なら寝て休む、脳梗塞になったらベッドで安静に。そんな過去の「常識」は次々と覆り、早期からのリハビリテーション、運動が有効であることが次々と示されました。

我々医療の世界では「常識」と呼ばれることが何の根拠もなく悪しき習慣として蔓延していることも数多く、丁寧に科学の力を使って証明すると全く逆だったということもまれではありません。

他国にも広く目を向けて見聞を広げ、常識を覆すような働きをしてパラオリンピックの開催にまでつなげた過去の偉人に敬意を表したいと思います。
グッドマンの一歩めは偉大ですね。「目標や夢」が、いかに人間にとって肝心なものか。そして、「スポーツや試合」がその点で有効な枠組みだあるか。
私も今考えれば全く足りてなかったけれど、高校のほとんどすべての時間、甲子園目指して必死に鍛え抜いた経験が、心身ともに芯を形成したなと感じる。
後半の「課題」は、人間世界あるあるだし、一つ一つみんなでクリアしていきましょう。

追記:ぜひ学校で、テキストとしてこれを見せ、議論してほしい。
このパラリンピックの偉大な歴史と偉大な先駆者のストーリーをみなさんに知ってほしい。今回のパラリンピックでもぜひ新たなスターが生まれて欲しい。

来週火曜日の「The Update」では、「パラリンピックでスターは生まれるか」をテーマに、豪華ゲストと議論します!
大分県で生まれ育ったこともあり、中村さんのことは知っていました。そして大分県は実は昔からパラスポーツって身近でした。それは中村さんが開催に関わって、今も毎年続く大分国際車いすマラソン大会があるから。その前後は街中にさまざまな国の車椅子ランナーが溢れるのですが、よく大分川の川沿いを選手が練習していたり。そして試合になると旗を持って応援に行ったものです
パラリンピックの成り立ちの歴史が分かりやすくまとまっていてありがたいです。
最後の課題をまとめたパートは悩ましいものも多いですが、1人でも多くの人がその課題を知ること自体が有益だと感じました。
パラリンピックのパラってなに?と昨日のチコちゃんでも取り上げられていて、大人たちがぼーっと生きてんじゃねーよと怒られてました。

オリンピック発祥の地がアテネと知られているように、東京からパラが生まれたという歴史は、都市として実はすごい資産だと思う。
大分市では毎年11月に大分国際車いすマラソン大会が開かれます。市街地を走り、開会式は街中であるので、市民にも浸透しているイベントです。

私が赴任中、ちょうど30回記念大会に当たり、連続出場をしていた「鉄人」を取材しました。当時の記事を読み返すと、中村氏の理念に共鳴する人たちの思いの強さを思い出します。リンクがないので、以下にシェアします(表記は当時のまま)。

【大分車いすマラソン、きょう30回大会 毎回出場・完走、別府の「鉄人」】2010年11月14日朝日新聞朝刊 西部本社版

 大分県別府市にある社会福祉法人「太陽の家」理事の吉松時義さん(67)は30回連続の出場になる。大会記録によると、第3回大会から始まったフルマラソンのすべてを完走しているのは吉松さん一人だけ。「出るからには限界に挑戦しないと」と9年前の自己記録を更新しようと意気込む。

 同県宇佐市生まれ。北九州市の製鉄所員だった20歳の時、夜勤明けのバイクでの帰り道で停車中のトラックに突っ込み、脊髄(せきずい)を損傷した。4年間の入院後、車いす生活となり、企業と協力して障害者に働く機会を提供する太陽の家へ。そこで日本の障害者スポーツの父と言われた太陽の家の創設者、故中村裕博士と出会った。

 国際障害者年を前に、中村博士から「障害者の強さをアピールしたい」と言われ、仲間と答えた。「公道を走るのはどうですか。マラソンをやりましょう」。この年の11月1日、大分国際車いすマラソン大会が産声を上げた。

 以来、29回連続で完走。86年に「オムロン京都太陽」(京都市)に移り、大分を20年間離れていたが、大会には出続けた。今も別府湾沿いの40キロを週5日走る。周囲は「まさに『鉄人』。目標に向かって努力する姿は、みんなが尊敬している」と評する。

 特製のグラブをつけて車輪を回す競技用車いすの最高時速は40キロを超える。更新をめざす自己記録は01年にマークした1時間41分44秒。「達成は難しいかもしれないが、安易な目標は面白くない」

 鉄人が14日、新たな歴史をつくる。(丹治翔)
2020夏までに、日本中に知ってほしいエピソード。
中村先生は地元・大分の大哲学人。
そういえば昨日のNHKパラ特集で、今の院長がチコちゃんに出演してた。
グッドマン氏の言葉「失ったものを数えるな。残っているものを最大限に活かせ」が心に刻まれます。パラリンピックのルーツや東京大会が日本にもたらした功績、学ばせていただきました。

障がいとは異なるのかもしれませんが、
高齢になり体の自由が効かなくなるというシチュエーションにおいても、動かないことで衰えが進むという悪循環もあるかと思います。健康寿命を長くしてよりイキイキと、という流れが出来ないか考えていきたいです。