「もう、疲れました」「さようなら」 “夜回り先生”水谷修の嘆きに心配の声、数日前には「一番怖い1カ月が始まります」(要約)
コメント
注目のコメント
「自分以外の誰か」を人生の主人公にしてしまうと、いつかは疲弊してしまう。
人生の主人公は「自分自身」。
ゆっくりされて、またもし気が向いた時に活動再開されることを淡く期待しています。
ひとまず、お疲れ様でございました。水谷さんのサイト閉鎖の真意はわかりませんが、今、いろんなところでこの現象が起きている気がします。
らせん状に子どもの未来を良くしようという思いで活動しながら、現実のモグラ叩きに疲弊する。
利他主義的な社会を良くしたいという思いで活動している方々がいる一方で、彼らの善意にただ乗りしようとする人が増えています。
ただ乗りする人は、基本スタイルが個人の損得勘定で、善意の行動をサービスと勘違いして使うから、「お互いさま」の輪が広がらない。
さらには、善意の人の行動を「好きでやっているんでしょ」と言う。
自分が世界の主人公だと思い込み、他者に想いを馳せたり、慮る気持ちが欠けています(想像力の欠如)。
これからの社会は、善意の人が潰れない仕組み・お互いさまができることをコミットできる人達でコミュニティをつくらないと、善意の人がただ乗り人間に潰されると危惧しています。お気持ちは少しだけわかるような気がします。
私程度の物書きのところにも「作家になりたいから編集者を紹介してほしい」などという問い合わせが何件もきます。そういう人に「私の本を読んだことはありますか?」と聞くとほぼ99%が「読んだことがない」と答えるのです・・・。そういう人はSNSで「作家」という肩書きを見つけると片っ端からこういうメールを送っているのかもしれません。
本を読むのがめんどくさい、メールすればすぐ答えを教えてもらえるのでは。そんな短絡的な、自分のことしか見えていない人がいるのはとても残念ですね。相手だって人間です。「本を読みました」と一言書き添えるだけで、どれだけ心証が違うことか・・・。