スローライフが、むしろ資本主義を「加速」させるという皮肉な現実
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著書でもかなり前から述べているけれど、スローライフは贅沢な選択であり、そのための潤沢なリソースを持たないものにとっては、単なる脱落になってしまう。同時に「いつの日かスローに生きたい」という願いを持って生きることは、加速主義そのものとも言える。
AIで仕事が奪われる、をはじめ変化が技術の進歩で加速していく方向と、スローライフやマインドフルネスを求める志向は、一見逆方向に見えるけど、枠組みは同じなのか。枠組みごとひっくり返すような、何かを求めたくなる。
加速も減速も、一体何を基準として速度をはかっているのか?加速主義と減速主義はそもそも二項対立にすらならない連続的なものかつ単発的なものであると思います。いずれにしても二項論を展開する奴は信用ならない。