少女像の韓国人作者が反論「日本の報道では正しい意図が伝わらない」 表現の不自由展で物議、街の声は? - AbemaTIMES
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注目のコメント
本件、平和の象徴としての芸術作品と言う作者の主張ですね。
実際見ていないので判りませんが、表現の不自由展と言う事であれば、恐らくは解説が記載されていた事でしょう。その内容が気になります。
そもそもいわゆる慰安婦像は、当初「アメリカ軍にひき殺された2人の中学生の像」だったものが、いつの間にか「慰安婦像」とされてしまった経緯があります。
従って、仮に芸術が作者の魂の叫びなのだとしたら、「慰安婦像」として展示するのは不適切だと思います。
例えば、【「2人の中学生を失った悲しみ」が表現された芸術作品が、いつの間にか「慰安婦像」として政治利用されてしまった嘆き】を表現した芸術作品、であれば私は適切だろうと思います。
もっとも、それなら個人的には2人を並べて欲しい所です。
このように、解説の記載により評価も大きく変わったはずだと思います。
展示目的が、単に政治的なタブーに突っ込んで話題を呼ぼうと考えただけなのであれば、「展示物」についてではなく「その行為」が問題視されるべきだと思います。
そうではなく、ある一定の主張の元に芸術作品を集めたのであれば、安易に撤回すべきでは無かったと思います。真摯に粘り強く説得を続けて世に問うべきだったのではないでしょうか。
このあたりは、芸術のキュレーターとしての専門性が問われる問題なのだと思います。
一般的に総監督が全ての出展品を選定せず、各コーナー毎に担当のキュレーターが選定すると思いますが、本件ではどのような形で集められたのでしょうか。
仮にキュレーターの一定の主張の元に集められたものを、承認したはずの総監督や主催者側がクレームを受けて早々に撤去を指示したのだとしたら「こりゃダメ上司の典型じゃん」とか思ってしまいますけれども。