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【日本軍兵士】戦死より多い餓死・海没死は、なぜ生まれたのか

NewsPicks編集部
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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    「大東亜共栄圏」というのは東南アジア各地と日本を輸送インフラ(港、船と鉄道)で結んで経済を一体化させる、という構想でした。そのような輸送インフラを持っていたのは辛うじて英国くらいのもので、日本はというとはるかに未発達の段階でした。結果、民間から動員して、民間船員6万人の死者、2568隻の沈没となりました。近代戦は経済力、研究開発力、ロジスティクス、現地調査力といった国家の総合力が必要ですが、全てが決定的に不足していました。
     陸軍の目論見としては、「中国でやっている戦争で行き詰まって、米国の経済制裁を受けても、東南アジアで石油などの資源を獲得すれば、戦争を継続できるではないか」というものでした。東南アジアの資源を輸送するコストは、まるで検討されていなかったといわざるをえません。
     陸軍の「精神主義」は、「短期決戦主義」の産物です。つまり、陸軍の主流だった統制派は、欧米諸国の「総力戦」を真似したかったのですが、「世界最終戦論」を唱えて満州をとった石原莞爾も、中国の資源を調査した永田鉄山も、中国大陸(+朝鮮、台湾)の資源と日本の工業力などでは総力戦はできない、と気づいたのは、中国での戦争が進んだ後でした。総力戦などできないので、短期決戦しかなく、頼れるのは資源や工業力ではなく「精神」という発想になってしまいました。
     明治以来の日本が最も情報収集してきた外国は、まず中国、次いでロシア(ソ連)でした。東南アジア専門家などは皆無に等しいくらい少なく、1942年になってインドネシアを占領するというので、イスラームつながりがあるだろう、程度の発想でアラビア語専門家やペルシア語専門家が送り込まれましたが、インドネシア語ができるわけでもないので、何の役にも立ちませんでした。
     1941年の時点で、東南アジアをとれば総力戦体制を構築できる、などと言い出したのは、準備も調査もないまともな発想ではありませんでした。


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    近畿大学 情報学研究所長 特別招聘教授

    精神論でなんとかできると考えがちなところは日本の経営者や政治家の中にも未だに残っている。態度や姿勢、仲間内の評判を重視した人事評価をしたり、古参兵を過剰に信頼したり。また最悪な事態のシミュレーションや、リスクを数字で把握すると言うことを軽視する人も特に大企業や官僚組織に多い。都合の悪いことは起きないと信じたいから信じる。自分の任期中さえクリアすれば責任は取らなくてすむという考え方。戦時中からあんまり進化していないのが日本の組織なのかも知れない。これこそぶっこわさないと、日本に未来はない。


  • 暦オタ・ガジェオタ・ミリオタ・時々謎のPro Picer

    当時の日本の愚かさをあげつらえば幾らでも言うことができますが、私は逆に練りに練った戦略を貫かなかった事に根本的な敗因があると考えています。
    本文では短期決戦思考を厳しく批判していますが、例えば陸軍省は日米の経済格差は約20倍と計算しており、日本が国力を維持できる期間は約2年間と見ていました。
    それがドイツが短期間でソ連を倒し、イギリスを屈服させアメリカを講和に引っ張り出すまでのタイムリミットです。
    その為元々の日本の対米戦略は、

    1)ソ連との直接対立を避け、背後を安定させる
    2)主敵をイギリスに定め、緒戦でインドネシア、マレー半島を手中に収めて継戦に必要な資源を確保する
    3)東南アジア、インド方向に侵攻し、援蒋ルートを遮断して蒋政権を屈服させ、戦線から脱落させる。
    4)アメリカとは極力戦わず、漸次消耗させながら、できるだけ補給が可能な防衛圏にひきづり込んで戦う
    5)その間にドイツがイギリスを降伏させることを前提に、イギリスの仲介でアメリカとの講和を目指す

    というものでした。
    これを漸減作戦と言い基本的に日本の兵器や戦術はこの戦略に従って作られていました。

    一方アメリカの戦略は、優勢な兵力を活かして一気にフィリピンまで攻めこんで日本軍を撃破し、その後日本を海上封鎖し、経済的に破滅に追い込むというもので、オレンジ計画で12ヶ月、その後のレインボー5計画で3年を作戦期間としていました。
    つまり、日米両国の戦略は似通っており、決して日本が短期決戦で固執して失敗したとも言えません。

    この戦略が狂ったのは、新たに海軍が推す開戦の第一撃でアメリカの主力戦力を叩き、超短期決戦で有利な条件で講和を目指すという作戦、つまり真珠湾攻撃が採用されたからです。
    このことで前線は補給が不可能なほど拡大し、しかも漸減作戦用に作られた潜水艦や駆逐艦は海上護衛戦に不適に作られていた為、ことごとく無用の長物と化しました。
    この結果護衛船団の編成ができず、夥しい数の輸送船が海の藻屑と消えたのです。
    因みに私の祖父もテニアン島近くで輸送船が撃沈され九死に一生を得たことがあります。

    緒戦の華やかな戦果に目がくらみがちですが、私は補給や海上護衛戦に限って言えば、真珠湾攻撃こそ、そもそもの戦略を狂わせ日本を破滅に導いた元凶の作戦だったと考えています。


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