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津田大介氏は「表現の不自由展」で何を目指したのか 開幕前に語っていた「企画意図」

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    フェリス女学院大学/ 二期会 教授/ 声楽家

    私は、表現の自由は守られるべきだと思います。ですから、展示内容ではなくその一点において、企画が中止には反対です。ただ、発表の芸術としてのクオリティと規模感のバランス、そして運営体制が気になります。まず、運営についてですが、このコンテンツであれば、展示する前に脅迫などの可能性はわかっていたことでしょう、事前に右翼からの脅迫について対応を決めていたとは思えない。明らかに準備不足ではないでしょうか?そもそも、クオリティの精査はどうなされていたのでしょうか?

    以下は表現者の端くれとしての私の私見ですから、異なる意見もあるでしょうけれど。
    1、芸術はどんな主張を持っていたとしても少なくとも「人間の素晴らしさ」「生命の貴さ」をどこかで表現していないと、単なる「自分や自分の意見の宣伝」に陥ると思っています。
    2、芸術は自分の思いのたけの発散で独りよがりですが、それが許されるのは、表現者の存在が掛かっている、命が分け与えられているものだからだと思うんです。世の中に発表するのは、単にこっちは表現して吐き出さないと死んじゃうからだけど、その時に命が削られ、表現に命が分け与えられる。だから人も基本的にはその命を見に来てくれるのだと思っています。
    3、助成をする側も、だからこそ助成される対象を選ぶべことには存在をかけて選ぶべきだと思います。だって、日本は助成なしでは資金的に表現が出来ない国。命をかけている芸術家の生殺与奪権を持っているんですから選んだ以上機関の命をかけて表現を守るべきだと思っています。だから助成金を出した機関は発表が始まるまでは口を出してもいいし、レポートを求めるし、途中や事後でも助成を出さないという決定すらもできる規定になっているものが多いのだと認識しています。

    発表は、それぞれの規模感に応じた、クオリティのある表現と、自由さのセットがあって初めて成立する繊細なもので、そこに多くの人の命が関わっているものだと思うのです。今回の展示は規模感がとても大きいですが、なぜこの表現に至ったのか?どこにこの規模の発表にふさわしい命がかかっているのか?がこの文章を読んでもちょっと私には心からピンとは来なかったのが残念です。
    でも、表現の自由は守られるべき。内容の方向性は自由であるべきなので、企画の安易な選定(これには音楽関係では日常的に!)と安易な中止に憤りを通り越しています。


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