宇多田ヒカルと海外文学、「自由」と「責任」
コメント
注目のコメント
本人というより、この記事の筆者による独自解釈による宇多田ヒカル作品と海外文学の関係に関するエッセイですかが、筆者の熱量が伝わってくるとても気持ちのよい文章でした。
私にとって、宇多田ヒカル作品と文学といえば、海外展開したアルバム「Exodus」(Utada名義)の、"Hotel lobby"。女性の孤独を極めて客観的に歌ったこの歌は、本人談によるとミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」(実際には英語版"The Unbearable Lightness of Being"を読んだらしい、原著はフランス語)の読後感から生まれた作品とのこと。クンデラのこの作品も、作品の中に「私」「われわれ」という物語を客観視する主体がしばしば登場します。
この作品は私が生まれて初めて読んだ長編小説であり(しかも26歳の時)、同時に最も印象深い作品でもあります。そしてまた、"Hotel lobby"もまた、"Exodus"の中で最も好きな作品の一つです。
Exodusの中のもう一つの作品"Kremlin Dusk"は、歌詞の中でも歌われているように、エドガー・アラン・ポーの「大鴉(The Raven)」がモチーフになっていて、ポーのこの作品自体が複雑な韻律を多用した物語詩であることにも呼応して、"o"や"i"など多くの員が踏まれ、また大鴉か"Nevermore"と繰り返したように、"-tion"の音が繰り返され、もの悲しげな世界観を表現しています。
他にも、宇多田作品には海外文学だけでなく、「北斗の拳」や「はじめの一歩」なと日本の漫画作品の影響下て作られたとされるものも多くあり、そうした視点で聴いてみるのもまた楽しみ方の一つかなと思います。
「自由」と「責任」というテーマに関して、宇多田さんがどれほどサルトルを意識しているのかは知りませんが、宇多田さんが昔雑誌のインタビューで、「誰かのことを追及するときは、自分のことも追及されることを忘れずに!」と言っていた事が思い出されます。
宇多田ヒカルが音楽業界に与えた衝撃
https://newspicks.com/news/1792226/デビュー当時から宇多田ヒカルが大好きで、いくつになっても彼女の歌に励まされていますし、なんならともに大人になったような気さえしています。そんな思いで書きました。
まさかpickしていただけるとは思わず、大変光栄です。ありがとうございます。「宇多田ヒカルと友達になれそうな気がする」という思いは多くの人が感じていることだろうと思う。当然、彼女とは会ったこともなかったとしても、だ。
それは彼女が紡ぐ言葉が、それぞれの人々の心の中にチクリと傷をつけ、それぞれの人の中に新しい自分を生み出しているからです。だから、みんな宇多田ヒカルのことに関すると能弁になる。
拙著「ソロエコノミーの襲来」のあとがきでも僕は3000字くらい書きましたw