なぜ「みなとみらい」が次世代イノベーション拠点に?

2019/8/2
「横浜みなとみらい21地区」、通称「みなとみらい」が、次世代イノベーション拠点として注目されている。村田製作所、ソニー、富士通エフサス、資生堂など、名だたる大企業がR&D(研究開発)部門を設置しはじめたからだ。
そして今年7月、新たに京セラが「みなとみらいリサーチセンター」を創設した。キーワードは「オープンイノベーション」。京都を祖業の地とする京セラが、なぜ「みなとみらい」に可能性を感じたのか。そして、この地から何がはじまるのか。

なぜ、みなとみらいだったのか?

「船を造りたいのなら、男どもを森に集めたり、仕事を割り振って命令したりする必要はない。代わりに、彼らに広大で無限な海の存在を説けばいい」
京セラの「みなとみらいリサーチセンター」には、星の王子さまで有名なフランスの作家、サン・テグジュペリの言葉が飾られている。
みなとみらいリサーチセンターのエントランスに飾られ、存在感を放つ
これは、京セラの創業者である稲盛和夫氏の言葉「創造的な領域では、基準とするものがない。真っ暗闇で嵐が吹きすさぶ海原を、羅針盤も持たず航海していくようなものだ。そのような創造の領域では、自分自身の中に羅針盤を求めて、方向を定め、進んでいかなければならない」がヒントになっている。
これこそ、みなとみらいリサーチセンターの目指すべき姿なのだろう。
創造とは、新しいものやことを生み出す行為だ。京セラで研究開発本部長を勤める稲垣正祥氏は、「新しいことをするときには、場が持つ雰囲気や文化も大切です」と話す。
「横浜は明治維新をきっかけに外へ開かれ、近代日本が始まった場所。その雰囲気は今でも色濃く残っていて、集まってくる人も企業も先進的です。なにより、港町でしょう。大海原に出航するにはピッタリです。
関内にはスタートアップも多く、みなとみらいには大企業のR&D部門が続々進出しています。そういった方々とのオープンイノベーションも視野に入れた結果、みなとみらいに居を構えることにしました」(稲垣氏)
オープンイノベーションを推進する試みのひとつとして、みなとみらいリサーチセンターには「共創スペース」が設けられた。社内外の人が出会い、活発に交流、触発しあいながら、新たな価値を生み出すことが目的だ。今後は、イノベーターなどを招いたイベントも活発に行っていくという。
「みんなで大海原に出ていこう、という気持ちを込めています」と稲垣氏。大海原というだけあり、施設全体のコンセプトは船。「イノベーションスクエア」と名付けられた共有スペースには、それぞれの場所に「コンパス」「スクリュー」「ラダー」「デッキ」など、船にまつわる名前がつけられている
その第1弾として、7月26日(金)にはオープニングイベントとしてパネルディカッション「異種格闘技戦 技術は人類の超進化をどこへ導くのか!?」が行われた。
かなり尖ったテーマのように感じるが、実は非常に京セラらしいとも言える。
京セラの経営の根幹は、人間として何が正しいかを判断基準として、人が当然持つべき倫理観、道徳観、社会的規範に従って、公明正大な経営を行っていくこと。つとに有名な「京セラフィロソフィ」だ。
AIやロボティクスの第一人者からSFアニメ作品の巨匠監督まで、さまざまなパネラーが集まった。詳細は画像をタップ
「『人間が道具をつくったのではなく、道具が人間を作った』という言葉もあるように、人は便利な道具や技術が発明し、それをさらに活用することで社会を進化させてきました。
AIは今、社会を進化させる技術として注目されています。一方で、AIと倫理の議論も盛んです。今後使わざるを得ない技術だからこそ、このテーマについて論じるのは、私たちの役目だと感じたのです」(稲垣氏)
研究開発に携わっていたり、スタートアップで新しい価値を創造しようとしている人には、ことのほか興味深いテーマだったのだろう。定員の倍以上の申し込みがあり、みなとみらいで働くビジネスパーソンも多く参加したという。

京セラ✕ソニー✕ライオン。「絶妙な補完関係」が生んだ商品とは

みなとみらいリサーチセンターの開設と時を同じくして、京セラはオープンイノベーションでも成果を出している。
ソニーの「SSAP(ソニー・スタートアップ・アクセラレーション・プログラム)」に参加し、ライオンとの協業で子ども向け仕上げ磨き専用ハブラシ『Possi(ポッシ)』を完成させたのだ。
事業化に向けたクラウドファンディングをソニーが運営するサイト「First Flight」で実施中。詳細は画像をタップ
「京セラは、お客様が求める要件を満たし、高い精度で提供するのは得意中の得意。しかし、部品系の事業が中心なので、BtoCの顧客に近い発想は苦手です。そういった部分を補うのが、SSAPに参加した動機のひとつでした」(稲垣氏)
『Possi』のコンセプトは、「子どもが嫌がる歯磨きを楽しい時間に変える」。そのために、デザイン・音楽・テクノロジーを融合させた。
ここに活かされた京セラのアセットは、電気信号を振動(音)に変換することができる「圧電セラミック素子」だ。京セラの携帯電話やスマートフォンに搭載されており、騒音が多いところでも受話口からの音を聞きやすくしている。
これを歯ブラシのヘッドに埋め込むことで、ブラシが歯に当たるとハブラシのヘッド部分から歯に振動(音)が伝わり、音楽が流れる仕組みだ。
『Possi』の開発に携わったのは、稲垣智裕氏。稲垣(智)氏は、もともと、圧電セラミック素子を活用したデバイスを手掛けていた。そのときから、いろいろなものに使えるイメージを持っていたという。
稲垣(智)氏自身が3児の父で、「子どもに楽しく歯磨きをしてほしいという想いから、この発想に至りました」と語る。上司でもある稲垣氏は、「自分自身が感じている痛みや思い、経験が新製品開発のドライビングフォースになる」と、稲垣(智)氏の背中を押した。
京セラは圧電セラミック素子の技術とそれを使った製品アイデアを、ソニーは本体デザインやプロモーションビデオの制作、ビジネスモデルの組み立てやユーザーインタビューのノウハウ、クラウドファンディングの設計を、それぞれの得意分野で共創した。
しかし、もちろん課題はあった。「京セラブランドの歯ブラシで、果たして売れるだろうか」。これが、京セラ社長の谷本と稲垣氏と一致した懸念であった。そこで声をかけたのが、歯ブラシでトップシェアを誇るライオンだ。
「京セラもライオンも、ダブルネーム表記は初めて。製品としての手応えはもちろんですが、オープンイノベーションらしさがあって嬉しかったですね」(稲垣氏)
京セラだけでは、このキャッチーな世界観は作り出せなかった。ソニーだけでは、圧電セラミック素子と歯ブラシを組み合わせる発想は出なかっただろう。そして、ライオンのノウハウがなければ、歯ブラシとして成立しなかった。
稲垣氏の言葉を借りれば「絶妙な補完関係」だったのだ。

全員が当事者意識を持つ「アメーバ経営」はベンチャーの考え方そのもの

『Possi』が話題になり、稲垣氏のもとには昔の上司から応援のメールが届いた。「若い頃を思い出しました」と懐かしさを滲ませる。
1982年、入社間もない稲垣氏は、鹿児島の研究所で、あるプロジェクトの末席に加わっていた。セラミックエンジンを車に積み、桜島の道路を走らせたのだ。
「ペーペーだったから、仕事は交通整理や製品の運搬くらいでしたが、自分たちの技術を使い、新しいことにチャレンジする誇らしさ、とワクワクで胸が一杯でした。『Possi』の開発を見守っていて、ちょっと似ているなと感じましたね」(稲垣氏)
稲垣氏は、今、その頃の京セラを取り戻したいと考えている。そもそも、京セラは1959年、ファインセラミックスの専門メーカー「京都セラミック」として、稲盛和夫氏が28人の従業員ともに創業した。今で言う、ベンチャー企業だ。
稲垣氏が入社した1981年は、まさに成長の真っ只中。稲垣氏自身「ベンチャー的な会社に入った」という認識だった。だからこそ、現状にはもどかしさも感じていたという。そのもどかしさとは、大企業に成長した故のジレンマだ。
「私が若い頃は、社内にアセットが少なかった。だから、外と組むのは当たり前。全く知らない分野、関係ない企業でも、新しく始めることに必要なら臆さずノックしていた。今考えると、向こう見ずですね」(稲垣氏)
その言葉の通り、70年代〜80年代の京セラは、さまざまな企業と共創している。太陽光発電パネルの開発や第二電電企画(現KDDI)などは、代表的な事例だ。
しかし、大企業となり事業分野も多岐にわたる今の京セラは、社内に十分なアセットがある。それ故、外に出る必然性も低くなっているのだ。
「外に出て手に入るモノは、新技術だけではありません。『Possi』の例からもわかるように、京セラにない考え方を得たり、異分野と結合したりすることで生まれるイノベーションが重要なのです」(稲垣氏)
京セラのイノベーションDNAの源流は、KDDIやJALなど約700社が導入する「アメーバ経営」だ。考え方を簡単に紹介しよう。
まず、組織をアメーバと呼ぶ小集団に分ける。各アメーバのリーダーは、それぞれが中心となって自らのアメーバの計画を立て、メンバー全員が知恵を絞り、努力することで、アメーバの目標を達成していく。
それが、現場の社員ひとりひとりが主役となり、自主的に経営に参加する全員参加経営につながるのだ。
稲垣氏は「数多くのベンチャー企業が社内に存在し、イノベーションを模索しているようなもの」と語る。
もちろん、京セラほどの規模とアセットがあれば、社内だけでもイノベーションを起こすことはできるだろう。
しかし、組織は経営の効率化のために「使わない部分を削る」最適化を行う。本来は「削られる部分」にも新たなイノベーションの種があるため、それでは限定的なイノベーションになってしまう。
研究開発部門は、既存事業を伸ばす役割もあるが、変化に対応し、変化を起こす役割も担っている。だからこそ、京セラ内部の目線だけでなく、外からのアイデアと京セラのアセットを結びつける、オープンイノベーションが重要になるのだ。
そのためにも、業種は問わず、積極的に外との関係を深めていく。必要があれば、同業同士でもだ。しかし、同業他社と組んだら、最終的に相手を利することにならないだろうか。
「稲盛は常々、『利他』という言葉を使います。利己ではなく、相手の利益も考える。考えてみれば当たり前で、自分だけがいい思いをしようとしたら、誰も手伝ってくれませんから。
京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫氏。現在は、14,000人を超える経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、経営者の育成に心血を注ぐ。
稲盛はよく、天国と地獄の違いを例にあげるのですが、天国にも地獄にも、鍋と長い箸がある。地獄は長い箸を使って自分だけが食べようとするから、食べられなくていつも空腹。天国は、長い箸で相手に食べさせるから、みんながお腹いっぱいになれる。
人も会社も、一人では生きていけません。これこそ、オープンイノベーションの要ではないでしょうか」(稲垣氏)
みなとみらいリサーチセンターは、研究開発とオープンイノベーションを加速するために、京セラが未来に向けて踏み出した大きな一歩だ。
しかしそれは、新たな取り組みでも、大きな方向転換でもない。むしろ、京セラが色濃く持つ創業時のDNA、外とつながり、新しいものを生み出すといった社風を、今一度取り戻すためのものだ。
「The New Value Frontier」。これは、京セラのブランドステートメントであり、新たな価値をいつも最先端で創造し続けるという意志の現れである。この言葉を具現化したのが、みなとみらいリサーチセンターなのだろう。
ただのR&Dではなく、オープンイノベーションを加速させる拠点は、みなとみらいの大企業同士の共創のきっかけになるかもしれない。今年60周年を迎えた京セラの新たな挑戦が始まっている。
(執筆:笹林司 編集:大高志帆 撮影:小池彩子 デザイン:砂田優花)