「水はタダ同然」はいつまで続けられるのか

2019/8/8
マイクロプラスチックなど、世界的にも21世紀の「水」のあり方は議論の的だ。浄水、排水で、水をきれいにするさまざまな技術を提供する三菱ケミカル。上下水道や家庭用浄水器だけでなく、地下水の循環システムのニーズも高まっている。世界的な水循環の第一人者・沖大幹東京大学教授を招き、三菱ケミカルの小野貴弘常務がこれからの「水ビジネス」について語り合う。

「薄利多売」の水ビジネス

小野 沖先生は著書の中で、同じ資源でも石油はストックできるもの、水はフローとおっしゃっているのが非常に印象的です。水は特殊な資源で簡単に計測することもできず、ローカル色が強く輸送も難しい。今日は、そういう水を取り巻く現状について、ぜひ教えてください。
沖 まず、ほかの資源に比べて、水は圧倒的に「薄利多売」のビジネスだというお話をしましょう。
 人間は食品も含めて1日2〜3Lの水をとります。また、日本の家庭では、1人1日約200Lの水を生活用水として使います。私たちは、毎日、大量の水を体や生活の中に取り込んで、流すには、単価を安く抑えなくてはなりません。
 単価で比べると、ペットボトルやびん詰めの水は、水道水より1000倍くらい高い。しかし、水道水のほうが圧倒的に使う量が多いので、市場規模は水道水が圧倒的に大きくなります。こんなふうに水は「薄利多売」なのです。
東京大学大学院工学系研究科修了。東京大学助手、同講師を経て2006年より現職。2016年より国連大学上級副学長、国際連合事務次長補を兼務。2017年より総長特別参与。専門は土木工学で、特に水文学、 地球規模の水循環と世界の水資源に関する研究。気候変動に関わる政府間パネル第5次報告書統括執筆責任者、国土審議会委員ほかを務める。著書に『水の未来』(岩波書店)ほか。
小野 昨年、水道法が改正されて、日本でも水道事業の運営の一部が民間でも可能になりました。
 水道事業を民間委託することには、不安の声が根強くあります。社会の本音は、水は公的機関から安く供給してほしいということです。
 しかしながら、いいサービスにはそれに見合うコストがかかるということを、我々自身が認識すべき時期にきていると思います。
 全国の約3割の自治体で水道事業が赤字。こうなると、メンテナンスも手が回らなくなる。結局、子どもたちの世代に借金や修繕というツケを回してしまっているわけです。
 安さを追求していては、持続可能な水道事業が成立しないという課題を抱えているのです。

水は汚れを運ぶ“メディア”

 そもそも水とは、何なのか。私は、水は汚れを運ぶ「メディア」と考えています。つまり、人の体の老廃物を体の外に運ぶ、服や食器を洗って汚れを運ぶ。水を使うといいますが、量が減るわけではなく、汚れた水になるということです。
 そこで、汚れた水をきれいにする、「浄水」というビジネスが生まれます。
小野 水が豊富な日本では「水はタダ」という感覚が長らく続いてきました。農業用水や工業用水として大量に水を使うようになって水ビジネスが生まれ、弊社でも水をきれいにする技術を進化させてきました。
国際基督教大学教養学部卒業後、1983年三菱レイヨン入社。プラスチック光ファイバー、炭素繊維などの新規成長事業に長らく携わる。炭素繊維事業部長(2014年執行役員就任)、経営企画部長などを経て、2019年三菱ケミカル常務執行役員 環境・生活ソリューション部門長就任。米国、英国など、海外駐在歴は8年に及ぶ。
 しかし、いまや日本の製造業が稼働させている工場の数は徐々に減り、工場施設の節水技術も進んでいます。つまり、国内で産業として水を使う量が大きく減少する中で、水のインフラを維持しようとすると、1人あたりのコストを高くするしかありません。
 おっしゃる通りですね。水と緑は豊かな自然の象徴で、タダで当たり前という感覚になってしまう。
 水ビジネスの難しさは、経済合理性だけで考えるとうまくいかないというところにあります。

国際的な課題のマイクロプラスチック

 川は1週間から10日、湖では数百日、大きな湖では水の入れ替わりに数年かかります。地下水は湖以上に循環に時間がかかると考えられています。海になると、水が平均的に入れ替わるのに2000〜3000年もの年月が必要です。
 人間は、産業革命以降、ずっと海を汚し続けてきました。ただ、目の前の海がきれいに見えるので、そのことに気づかないんですね。
 今、国際的に大きな問題になっているマイクロプラスチックのように、このまま海を汚し続けていたら本当に大変なことになってしまいます。一度汚れた海をきれいにするには、途方もない時間がかかるのです。
小野 我々化学メーカーとしても、マイクロプラスチックは非常に身近な課題です。
 特にマイクロプラスチックは、最初に取り組んで効果的な対策技術の結果を出したところが、ビジネスの勝者になっていくでしょうね。
小野 海の水をどうきれいにするか、プラスチックのリサイクルをどうするかなど、多面的に取り組んでいく方針です。
 弊社には、植物由来の生分解性プラスチックで「BioPBS」という製品があります。自然界の微生物によって水とCO2に分解されるため、自然環境への負荷が少ないという特徴を持っており、農業用マルチフィルムや紙コップのラミネート、ストローなどが商品化されています。
生分解性プラスチック「BioPBS」を使ったコップ(写真提供:三菱ケミカル)
 日本では、京急グループ様の飲食店や百貨店、ストア、ホテルなどの13社68施設で、年間約16万本使用されているストローを、この「BioPBS」を用いたストローに切り替えられるなど、採用事例が増えつつあります。
 こうした採用事例が広がることによって、消費者の意識も変わっていくと期待しています。

本当にあった「東京砂漠」

 そもそも水が循環する速度はほぼ一定です。循環の中で人が水を使います。
 一定面積あたり、何人まで「使える水」を供給できるかを考えます。江戸時代、すでに人口が過密だった江戸では、循環速度が水の使用量に追いつかなくなって、多摩川から水を引いてきました。
 昭和中期の高度成長期になって、もはや多摩川だけでは賄えないと、奥多摩に小河内ダムをつくるんですが、東京は毎年20~30万人ペースで人口が増加して全然追いつけない。
 毎年のように水不足に悩まされ、昭和39年の東京オリンピック直前には大渇水に見舞われます。これが「東京砂漠」という言葉の由来です。
 今は利根川から水を引くようになって、大都市東京の水を安定して供給できるようになりました。
小野 きれいでおいしい水を提供することは、我々の使命だと思っています。上下水道や地下水を含めた水循環システムで、安心できる水を安定的に供給することに貢献していきたい。そのためにも、水の汚れをすべて回収することが我々の役目だと思っています。

昭和30年代、川は臭くてイヤな場所だった

 排水についていうと、下水処理が進んだことで日本の風景はずいぶん変わりました。
 昭和30年代の東京の川は、生活用水がそのまま流れ込み、ゴミだらけで、臭くて汚いイヤな場所でした。あまりにも川が汚いため、昭和36年には隅田川の花火大会やボートレースの早慶レガッタが中止されたくらいです。隅田川が一番ひどいときは、トイレの水を3倍に薄めたレベルにまで汚れていました。
小野 下水が普及して、日本の川や海はきれいな姿に戻り、ウオーターフロントとして人気のスポットになったんですね。
夏の花火大会では大勢の人でにぎわう隅田川。東京でも人気のウオーターフロントスポットとして人々が集まる(Kyodo/Getty Images)
 下水処理をどうやっているのかというと、広い土地に生物処理施設をつくって、バクテリアを使って一度汚れを沈殿させてから、上澄みのきれいな水を排水するという仕組みで、エネルギーも大量に消費します。
小野 弊社では、MBR法(Membrane Bio Reactor 膜分離活性汚泥法)という技術があります。このMBR法であれば、非常にコンパクトに時間的にも効率よく排水処理を行うことが可能です。
 日本には今でも下水が普及していない地域が2割ほどありますが、そういう場所に下水管を延々引くというのは、あまりにも非効率。地価の高い日本では、できるだけ狭い面積で、省エネで下水処理をする方法を検討していくべきです。その意味で、MBRはとても意義があります。

分散型水道事業への期待

 ほかのエネルギーもそうですが、上下水道は規模の経済で安く供給する仕組みになっています。しかし、これからは人口が減少して過疎化する地域も増えていきます。そういう場所に水を供給・排水する仕組みとして、分散型の水事業には期待が寄せられていますよね。
小野 分散型水道事業は、地下水をろ過し、公共水道と併用する仕組みです。技術が進化し、水の使用量に対して課金するというビジネスモデルも確立しました。
 技術や装置の進化に合わせて、我々の経験値も向上しているので、メンテナンスも含めて分散型で安定したサービスを提供できるのです。
 先ほども言いましたが、水道料金のコスト負担は、これから真剣に考えていくべき課題です。電気やガスと違って、不思議なことに水道は今も大口になるほど料金が高くなる逓増型です。水を大量に使う企業にとっては、地下水を利用する三菱ケミカルのサービスは、コスト削減に直結するでしょうね。

災害時やリモート地域に役立つ地下水

小野 地下水を飲料水として提供するソリューションが「地下水膜ろ過システム」です。
発売元:三菱ケミカルアクア・ソリューションズ
 地下水膜ろ過システムのメリットは2つあって、ひとつは通常の水道の代わりの水源となること。水道料金が高めの地域では、コストの削減になります。
 もうひとつは、災害で断水しても地下水から水を供給できることです。特に病院ではニーズが高く、導入事例も多くあります。東日本大震災や熊本地震の際も、病院内はもとより、近隣住民の方々に緊急用の水を供給することができました。
 ひと昔前の災害対策は、建物の倒壊で人が死なないことを何よりも重視していましたが、今は、災害で生き残った後の対策も重要になってきています。ケガ人や避難所で暮らす人たちの命を守り、少しでも質の高い生活を支えるために、水をどう供給するかは大きなテーマです。
小野 先ほど沖先生がおっしゃっていたインフラの維持という点でも、分散型の仕組みが役立つはずです。過疎化で十分なメンテナンスができない地域は、最初から地下水膜ろ過システムを導入することで、公共の水道事業を補完する。それがひとつの理想形になってくると思います。
 今後、ますます増えていく遠隔地域にどう水を供給していくのか。水道管を通して維持管理し続けたり、給水車を手配したりするという方法ではコストがかかりすぎます。地下水や渓流の水をうまく利用することで、安定的に必要量を供給するシステムづくりが必要。それを官がマネジメントするのか、民がするのかというところです。
小野 専門家の確保が一番の課題なので、いずれにしても官と民が協力していくことになっていくはずです。

蓄積した水データを活用したサービスを

小野 今まで弊社では主に自治体などに膜や薬剤などの水に関する「パーツ」を提供してきましたが、これからは水事業のサービスそのものに本格的に注力していきます。
 我々の強みは、水に関するさまざまなデータを持っているということ。上下水道だけでなく、マンションや商業施設の保管タンクのデータもあります。これらを活用して、より多面的な水事業、例えば健康や防災などの領域でもビジネスを広げていきたいですね。
 供給サービスを手がけるということは、原水の水質、どんなふうに浄水するのか、供給した水がどこでどのように、いつどれくらい使われたのか、というようなデータがすべて蓄積されるということ。情報が価値を持つ時代に、そういうデータを持っていることは、大きな価値となりますね。
 自治体は自分の地域のことしか知らないけれど、民間はさまざまな場所のデータを蓄積できます。そこには失敗例や成功例のノウハウも含まれる。それは大きな強みだと思います。
小野 技術や製品にはもちろん、大きな自信を持っています。さらに地域社会、そして国際社会に安心・安全な水を継続的に提供できるサービスを生み出すことが、次の勝機。社会に貢献する未来をつくる事業として、非常にやりがいのあるビジネスだと感じています。
(編集:久川桃子 撮影:大畑陽子 デザイン:堤 香菜)
キッチンも病院も工場も。世界が求める「きれいな水」とは