【解説】サニブラウンや小池が出す、9秒台という「時間」の価値

2019/7/24
2020年東京五輪開幕まで、ちょうど1年。
本番へのカウントダウンが進むなか、オリンピックの花形と言われる「陸上男子100メートル」の注目が高まっている。
9秒97の日本記録を持つサニブラウン・アブデルハキームを筆頭に、7月20日の大会で9秒98を記録した小池祐貴、日本人初の9秒台を記録した桐生祥秀など、世界で戦えるスプリンターが続々と台頭しているのだ。
長らく世界の厚い壁に跳ね返されてきた陸上男子短距離で、なぜ急に新星が現れるようになったのか──
200メートルの日本記録を保持し、39歳になった今も現役選手として東京五輪への出場を目指す末續慎吾が、その理由を解説する。
末續慎吾(すえつぐ・しんご)陸上選手。1980年熊本県生まれ。2003年3月の日本選手権で200メートルの日本記録を樹立。同年の世界陸上では同種目で、日本人男子では短距離のフラットレースで初の銅メダルを獲得した。2008年北京五輪の4×100メートルリレーで銀メダル

能力の劣る日本人が、進化を開始

──末續さんは100メートルで10秒03という日本歴代7位の記録を持っています。その道のプロから見て、9秒台はどれほどすごいことですか。
末續 陸上の短距離は「走る」競技で、「スポーツ」というくくりです。
もう一歩下がってスポーツとは何かというと、ルールがあるから皆が平均的に楽しめたり、競技に参加できたりする。
人と人が戦ったり、勝敗をつけたりすることに対して、より高いスポーツマンシップを求める部分があるから、そもそもスポーツは成り立っています。
そうしたスポーツの大前提を考えたときに、他の競技と比べると、陸上短距離にはルールがほとんどない。ボクシングのように体重別の階級もなければ、道具もほとんど使わないで、「位置について、よーい、ドン」だけ。
強いて言えば、ドーピングがダメ、フライングはダメというくらいで、他の競技に対してルールが限りなく少ない。
ということは、人間の根本的な能力の戦いになってきます。
古代オリンピックから短距離走(スタディオン走=約191メートル走)は行われてきたように、「より速く走る」という競技は2000年以上前からありました。
近代オリンピックでは1896年の第1回アテネ大会から100メートル走が行われていますが、黒人以外が9秒台を出すのに相当の歴史というか、タイム(時間)がかかったわけです。
※1968年にアメリカのジム・ハインズが電気計時で人類初の9秒台(9秒95)を記録。白人初の9秒台は2010年のクリストフ・ルメートル(フランス)。アジア人初は2015年の蘇炳添(中国)。
9秒9って、普遍的な時間の中にあるものですよね。10秒を切るという変化を日本人がつけられたのは、技術論やスポーツの価値観みたいなことではなく、次元が違いすぎる。
そのすごさは、一般の方にはイメージしにくいと思います。
陸上は他の競技と比べてマスの競技人口が圧倒的に多いなか、身体能力がものすごく高い人と低い人がいます。
「能力が劣っている」と言われる日本人が海外の選手と肩を並べだしたのは、ある面では人間として一つの進化という評価をしていい。
僕がメダリストとして見ても、恐ろしいことをやったと思いますね。
──末續さんはあと0.04秒縮められれば、9秒台に到達していました。一般人が数字だけを見ると「あと少しじゃん」と思いますが、おそらく当人たちはそういう感覚ではないですよね?
違いますね。
人は道具を持ってさまざまなものを便利にしていったじゃないですか。それはある面では、知的な進化だと思います。
一方、道具を使わない中で肉体的な変化が訪れるとしたら、陸上という競技は、知的な進化に逆行したあり方だと思うんですよね。走ることが速くなるというのは、人間の身体能力が進化した証しだと考えています。
100分の何秒を縮めるために、何十年もかけてきた人がいます。何万人という数え切れない人間が、0.01秒縮める作業を何百年もやっている。
そこにある価値を考えたとき、時間かなと思ったんです。
人の価値を測るのは、かけた人数と時間だと思います。
誰しも人は、時間の中で生きています。
時間を捕まえることはできないけれど、僕らは時間を追求するわけじゃないですか。
100分の何秒の世界でやりあっている陸上という競技を客観的に見ると、ある意味、スポーツの中で最も価値のあることをやっていると思います。