日本人のソフトウェア軽視と、7月19日の日記
コメント
注目のコメント
だからキャッシュレスも進まないんですよね…
しかし、歴史的にずっと日本からソフトウェアが生まれてないという訳でもないんです。和歌や短歌のような言語表現のプラットフォームだったり、独自解釈の挙げ句元とは似ても似つかない形になった仏教だったり、あと禅のようなライフスタイル(これはハードウェア信仰があるが故にカウンターカルチャーとして生まれたような気もしますが)とか、戯画マンガアニメなんかもありますね。
あ、でも挙げてみて気づきましたが、和歌と短歌以外は発生当時のメインストリームから迫害を受けている…やっぱハードウェア信仰は日本人のDNAかも
追記
有料記事なので引用は避けますが、この先の話としては、こんな感じです。
日本ではこれまで、良いモノは海外から入ってくるという前提であった。なので、海外から入ってきたオリジナルを神聖視してしまう癖がある。「本場でプレスされたレコード」や「中国からもらった金印」だとか。それが行き過ぎた結果、本来重要であったモノが持つ意味性やコンテンツといったソフトウェア部分ではなく、ハードとしての「モノ」(すなわち偶像)にしか興味を持たなくなったのでは?その結果、飾るだけの文学全集みたいな商品が生まれるのだ。
という文脈で、禅なんかはソフトウェアど真ん中じゃないかなーと思った次第です。精神性として製造業が合ってる、というのも、日本の製造業の強みはトヨタが生み出した漸進的改善の積み重ね文化と、アメリカ生まれのデミングサイクルを魔改造したPDCAなるツールなので、実はソフトウェア的だったりします。
でも、偶像崇拝禁止のイスラム教が日本で流行らないのもハードウェア大好きDNAの影響かも…とか考えると面白いですね。私も無料部分だけ(笑)
これがソフトにお金かけない日本人たる所以?
ちょうど昨夜外資の方ととこういう話したばかり。
つまりリンクさせるソフトウェアがないから、全てのビジネスの座具が分断されてコストと時間だけかかるという事。すみません、元記事は無料部分だけで、主に yamagishi t さんのコメントへの感想になります。
もとは体系的な学問としての導入だった仏教(初っ端に廬舎那仏建てたりもしてますけど)、日本化の先端は禅や法華宗あたりでしょうか?
修行 or 救済という方向性の違いはあれ、両方とも論理より実践の宗教と認識してます。
考えるより手を動かす。その中でひらめく。
ハードウェア = 製造業との親和性の方が高いのではないでしょうか?
和歌は良く知らないので割愛します。