「嫌われる覚悟」がエッジをつくる。レクサスが過去から解き放たれた理由

2019/7/31
 製造業のオートメーション化が進むなか、ものづくりにおいて「ヒト」が担う本質的な役割とは何だろうか?
 レクサスが掲げる「CRAFTED」という哲学を通じ、ものづくり現場での「人間の役割」を考える本連載。第2回は、デザイナー出身でチーフエンジニアを経験した異色の経歴をもち、2017年よりLexus InternationalのPresidentを務める澤良宏氏に単独インタビューを試みた。
 2019年にブランド誕生30周年を迎えたレクサス。順風満帆に見えるその道のりを取材するなかで、繰り返されたエピソードがある。それは2011年、米カリフォルニア州ペブルビーチで開かれたレクサスGSの発表会での一幕だ。
 トヨタ自動車社長の豊田章男氏がプレゼンテーション後のセッションで忌憚のない意見を求めたところ、ある記者の口から次のようなコメントが出たという。
「レクサスはいいクルマだけど、“Boring(退屈)”だ」
 満を持してお披露目した新型車に対する一言。この屈辱は、レクサスに関わるすべての社員に奮起をうながした。そこからレクサスは、ものづくりの姿勢からブランディングまでを一から見直し、変革に取り組んできた。チャレンジを続けるレクサスの本質は、どこにあるのか?

「二度と退屈なクルマはつくらない」という決意

── ペブルビーチでの一件を、レクサスに携わる多くの方が原体験として語っていました。その後のクルマづくりは、どのように変わったのでしょうか。
澤良宏 従来の万人に嫌われないものづくりから、エッジを効かせた提案型のものづくりへとシフトしました。それまでは過半数がいいと思うデザインを採用し、誰にも嫌われないけれど、熱狂的なお客様をつかむこともできない状態が続いていましたが、10人中1人か2人でも「これはいい!」とファンになってくれたらそれでいいと、「嫌われること」を覚悟したんです。
 その結果、ISやNXが生まれ、さらに新しいチャプターを迎えるにあたり、2017年に発売したLCで、プラットフォームも乗り心地もプロポーションも、すべてを一新させました。
── ブランドが立ち上がった1989年から、レクサスに通底する価値は?
 僕たちのコアにあるエッセンスは、徹底してこだわり抜いたものづくりです。それは、「我々が無意識に取り組んでいたこと」であり、日本人に生来備わっているDNAのようなもの。それを言語化し、ブランドのDNAとして海外のスタッフにも共有しています。
 例えば、「YET philosophy(二律双生)」。 “Traditional YET Modern(伝統的、かつ現代的)”のように、二つの相反する価値を調和させる日本人ならではの性質です。
 古くより日本人は海外から入ってきたものをそのまま取り入れるのではなく、風土に合わせたひと味を加えて新しい価値を生み出すのが得意でした。食、ファッション、建築……異なる文化を合わせる性質が、日本人のDNAには刻まれているのだと思います。
── その性質を言語化して海外のメンバーに伝えたんですね。
 伝えたというよりも、彼らから教わったのかもしれません。実は、我々自身も「二律双生」という性質にはっきりとは気づいていなかった。それを海外の人に評価してもらって初めて価値あることと理解し、言語化できたんです。
 例えば、日本人がなにげなく飲む味噌汁を外国人が飲むと、「この旨みはなんだ?」「出汁とは?」と次々と新しい問いが生まれ、発見をする。レクサスのものづくりも日本人にとっては暗黙の了解だったところを分解し、しっかりと言語化して整理した。その象徴的なキーワードのひとつが「YET philosophy」であり、「CRAFTED」です。
── なるほど。それによって日本人にとっても暗黙知だったレクサスのものづくりが、グローバルに共有できるようになった。
 その結果、かつては様々な案がバラバラと出てきていたデザインコンペも、現在はコンセプトに合致し、かつレクサスらしさを感じられるものが世界中から集まってくるようになりました。

日本に息づく、エッセンスを抽出する

 もうひとつレクサスの根底には、「ヒューマンセンタード=人間中心」の哲学が、ずっとあります。それは、「レクサスに乗る人がどう感じるか?」をすべての中心に据え、「時間軸」を加えてものごとを考えること。
 建築デザインがわかりやすいのですが、「住む人は、いつ、どんなことをするんだろう?」と、人々の営みや暮らし、ライフイベントなど、人生を時間の流れとともに想像すると、商品やサービスのあり方も変わっていきますよね。
 もっとも、特定の場所に固定される建築と違って、クルマは移動する。時間軸だけでなく空間軸も必要です。だからこそ、より人間中心にとらえないと、ただのモノとしてコモディティ化してしまう。レクサスのものづくりというと一見、デザインや開発、工場の中だけかと思われがちですが、ディーラーの対応、アフターサービスまで、ありとあらゆる事象に通貫しています。
「CRAFTED」というのは、モノとサービスがセットでないと実現しない。つまるところ、すべて「あなたのためにあつらえました」という世界なんです。
── デジタルプロダクトだと、UIやUXに当たる考え方ですね。近年流行の「デザイン思考」とも通じる気がします。
 デザイン思考自体はグローバルな考え方ですが、レクサスの独自性があるとすれば、それをプロダクトやサービスに落としこむときに日本独自の暗黙知を生かすこと。「おもてなし」のような価値観にあると思います。
「おもてなし」において、もてなす方は見えないところでもずっと相手のことを考えます。そこには相手に感動してもらいたい「瞬間」が必ず存在する。
 その瞬間までお客様は気づかないかもしれませんが、その一点に向けて先回りして準備する。そういう思想と時間軸でプロダクトやサービスを考えることが、日本ならではのデザイン思考であり、ラグジュアリーライフスタイルブランドであるレクサスが追求し続けたいことです。
 それは、日本らしさを意図的に押し出すこととは違います。むしろ、直接的には日本を感じないところまでその価値を普遍化し、世界共通のエッセンスとして抜き出す。そうでなければ、唯一無二にならないし、欧米の方がレクサス──この、誕生して30年そこそこのラグジュアリーブランドを選ぶ理由がないと思うんです。
── そのエッセンスは、カーデザインにはどう影響するんでしょうか。
 例えば、日本人と欧米人では、空間や時間のとらえかたが違うんです。欧米では黄金分割のようなパーフェクトな割り付けを重視します。一方、日本の場合は、絶妙なアンバランスさや、何もない「間」に重きがおかれる。
 それは、日本人が空白に「重力」や「質量」を感じているからです。欧米人からすればエンプティ、空っぽなんですけどね。
── 日本人だからこそ、間や空白をデザインできるということですか?
 そう。でも、そこには外国人も「良い」と感じるエッセンスが含まれているんですよ。龍安寺の石庭に、外国人が長いあいだ座っている。禅は知らないけどなんかいいよね、と。外国人も価値には気づくけれど、それを生み出せるのは日本人だけ。そこが非常に重要なポイントです。
 そんなふうにして、常に「欧米にない文法のカーデザインって何だろう?」と自問を繰り返しながら、日本ならではの良さを模索しています
── 過去のレクサス車で、その良さが端的に息づいている車種は?
 日本独自の価値観で成功した代表例が、1989年の初代LSなんです。まるでエンジンが止まっているかのような静粛性をクルマに求めたのも、日本には大前提として「静けさ」という価値があったから。
 夕立の雨音が美しいとか、風鈴を通して風の存在を感じるとか、その時間はすべて静けさが前提になっているから楽しめるんですよね。実際、クルマに「静けさ」という概念を取り入れたのはLSが初めてで、その結果、高級オーディオが自動車市場に入っていった。
 つまりLSでラグジュアリーカーの価値観や文法が変わった。そのように、日本の価値観から生み出されるパラダイムシフトをもう一度起こしたいんです。

人間とテクノロジーが織りなす「CRAFTED」の未来

── 近年は自動運転やカーシェアリングなど、テクノロジーの進歩や社会の変化でクルマを巡る環境は大きく変わりつつあります。将来的に「クルマを所有する」という概念すらなくなるおそれはありませんか?
 当然、ラグジュアリーセグメントでも「所有しない」という選択肢はありうると思います。でも、やっぱりレクサスは愛車ビジネスを続けていくでしょう。
 なぜなら、特別なものは持っていたいという欲求や、自分の相棒とあの道を走りたいという欲求は、絶対にゼロにならないと思うからです。
 その欲求をシェアリングで満たそうとしても満足し得ない。たとえAIで瞬時に愛車と同じセッティングに調整できても、所有感はありませんから。
── 製造現場でもAIやIoTによってオートメーション化が進んでいますが、ものづくりへの影響は?
 もちろん、テクノロジーによってものづくりは変化します。実際、今のスピンドルグリルなんて木型の時代では製造できない。デジタル時代ならではのものですよ。
 今は人の手で行っている車体検査も、ある程度は言語化・機械化できるように取り組んでいます。ただ、熟練の職人が触れて感じる歪みをマイクロメーターで測れるかというと、どこまでいっても感覚に頼る部分はなくならない。
 大事なのは、人の技術とコンピューターや機械がともに進歩して、例えば「こんな形はプレスできない」と思っていたデザインが実現できるようになること。機械がもっと繊細になれば、今度は人間が機械にできない領域のことを行うようになるでしょう。
 そんなアナログとデジタルのキャッチボールが繰り返されて、スパイラルアップしていくことが「CRAFTED」の本質です。この交互の切磋琢磨をやめたら、おそらく成長が止まってしまう。レクサスらしさも失われると思います。
── 挑戦をやめると、それこそ、また「Boring」だと言われてしまうかもしれない。
 そうですね。チャレンジと成長を続ける限り、レクサスは古くならない。最新のテクノロジーを取り入れ、デザインを革新し、マーケティング施策でも他社がやらないような分野に投資して、どんどん仕掛けていく。
 レクサスというラグジュアリーブランドに対する信頼は、「革新を諦めないこと」でしか、得られないと思うのです。
(編集:宇野浩志 執筆:熊山准 撮影:後藤渉 デザイン:黒田早希)