ふたたび #小川たまか さんの記事。#伊藤詩織 さんと山口氏や法廷の人々とのやりとりは、両者の逕庭を明らかにすることに働いている。これは伊藤さんの瑕疵ではなく、コミュニケーション構造的にそうなるように「なっている」というのが実相。伊藤さんをサポートする。
やった、やってない、の裁判は第三者の目で明らかに分かる映像や音声がないと判断できない。加害者と被害者の頭の中の記憶は動的平衡により、微妙に変化することは避けられないから。色々な意味で被害者には辛い裁判だが、前に進むためにも少しでも自分の中で決着をつけたかったのかな?と勝手に理解した。
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