維新と言えば「身を切る改革」。今こそなお、身を切る改革が重要な理由
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注目のコメント
「身を切る改革」のような政策は、全く支持できません。余りに愚かすぎます。このような主張をする政党に投じてはならないと考えます。
理由を以下に述べます。
「身を切る改革」について、議員自身、御手前様が給金を減額するのは、それはそれでどうぞご勝手になさってくださいという話だと思います。
一方でそれは「議員の能力が低いのだから、報酬は下げて当たり前だ!」ないし「我々は、それ程報酬をもらえるような仕事をしていない」という主張に等しいのです。
それに「議員定数」や「議員歳費」という【職業】に対して制約をかける事は、「未来へ制限」に他なりません。
未来の議員も無能であって、人数が少なくても良くて、大した仕事をしない人物でよい、等という保証などどこにもありません。
それどころか、こう考えるべきです。
【(未来の)議員はどんな人物がふさわしいですか?】
もし答えが「もっと無能な者が議員になるべき」「政治で決めず、カネが多い者が全てを決めるべきだ」「議員は寝なければ良いだけ」等と考えるならば、議員定数を削減して議員歳費をどんどん削るべきでしょう。
相応な人物が立候補し、相応な国会となるでしょう。
一方、「未来の議員にはもっと有能な人物に務めて欲しい」「議員が困っている人に耳を傾けれるよう積極的に活動できるようにして欲しい」「日本の議員には輝いていて欲しい」と考えるのであれば、むしろ【議員という職業】に相当する報酬は【上げる】べきではないでしょうか。
そもそも「身を切る改革」という事は「身を切る」「改革」が同じベクトルでセットになっている事を示します。
要すれば「議員が身を切ったら、次はお前の番」という事です。
現在の議員は、その少ない議員報酬(秘書を雇う費用も考慮すれば)のため、継続できる人物が限られています。
ある程度の金銭的裕福さや、知名度により資金が集まる、企業から政党経由で潤沢な資金が期待できる、等。
要するに「基本的にはカネがある人」だけが務める事ができる仕組みになってしまっています。
「基本的にはカネがある」のだから、彼らが議員歳費を削ったところで殆ど困りません。
困るのは【次に身を切られる国民】という話です。
こんなふざけた話はないと思いますよ。
それ以前に、現在の価値観で未来をロックするな、と申し上げたいですね。