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イランとイスラエルが「盟友」だった時代があった

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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    「イランとイスラエルが盟友だった」というよりも、正確にいうと、「イラン革命で追放された旧パフレヴィー王家がイスラエルの諜報機関と非常に近しい関係にあった」ですね。当時から、イスラエルはイランの民衆や宗教界は憎まれており、革命が成就すると、米国と並んでイスラエルはイランの主要な敵と見なされるようになりました。
     イスラエルには本当の友は無く、しかし、中東各国とは全てパイプを持っています。例えば、諜報機関モサドの長官などは、ヨルダン国王と定期的に会合を持っています。イスラエルを表立って「盟友」などと呼ぶと自国民の憎悪を受けることになりますが、中東各国の支配者は非公式にイスラエル諜報機関とのパイプを通して様々な利益供与を受けています。
     イスラエルは、革命後のイランとすらパイプを持っていました。革命後、イラクからの侵攻で長年のイラン・イラク戦争を戦うことになったイランが戦争を継続できたのは、密かにイスラエルから兵器の補給を受け続けていたためです。イスラエルの諜報機関は、イランに兵器を供給することでイラン・イラク戦争を長期化させ、イラン、イラク両国を疲弊させることがイスラエルの国益になると判断していました。


  • 帝塚山学院大学 教授

    背後にあったのは、やはり東西冷戦であった。イラクは、1972年にソ連と友好協力条約を結んだ。一方、イスラエルはアメリカの友好国だ。東西冷戦下、この両国の対立は当然だろう。鍵になるのは、イランだった。イランのパフレビー2世(パーレビ国王)はアメリカとの関係を深めながら強引な非イスラム化と近代化政策を進め、1964年にはアヤトラ・ホメイニ師を国外追放にしてしまう。ホメイニ師が、強引かつ急速な近代化政策による貧富の格差を批判したからだ。こうした中、1972年には、ニクソン米大統領がイランを訪問し、戦闘機の供与を約束した。だが、イランの石油収入が一部の者だけを潤し、商店主(バザール商人)の破産が相次ぎ、地方では棄農に追い込まれる者が続出し、ついに1979年のイラン革命が勃発してしまう。その際、パフレビー2世(パーレビ国王)はアメリカに亡命した。こうした経過で、イランの反米、反イスラエルという方向性が固まってゆく。


  • 朝日新聞社 メディアデザインセンター 部長

    元モサドが語る、「インテリジェンス・オフィサー」に求められる資質。あらゆる仕事に通じる部分があります。

    「ジェームズ・ボンドではないけれど、情報官は普通の人以上に知的でなければならないし、地域の歴史や政治にアンテナを張っていなければならない。他者に影響を与えられる人格も重要だ。ときには自国や自国民を裏切るよう説得しなければならないからだ」


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