現代アートは、なぜ「資産」になるのか
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注目のコメント
「アーティストの仕事は、作品を届ける一点に尽きます。アトリエで作品が完成することが完結ではないんです。
作品自体にはなんの価値もありません。つまり良い作品という概念は存在しなく、その周りにある環境をどれだけ多く巻き込めるかなんです。
アンディ・ウォーホルやKAWSを見ても、文化の中心的存在となるために時間と情熱を全て注ぐ。」
素晴らしい。
ファッションやビジネスで言えばブランディング。
アーティストも、広告こそ打たないが、アーティストその人自身含めて価値となる。アートのマーケットというのは欧米の社交の場、サロンであったりクラブが起源であり、今もそれがそのまま続いています。アートはスーパーマーケットやアマゾンで売ることを前提につくられる商品ではありません。あくまで社交の場で鑑賞され、話題になるために値段がついて取引されます。
日本でいえば、茶の湯の場でつかわれる道具が高価で取引され、湯飲み茶碗にトンデモナイ値段がつくようなものです。和歌の教養であったり、香木であったり、十二単や小袖に実用性以上の価格がついたのも、社交の場の道具だからであり、そういう社交の場で高く評価されることが当事者には非常に重要なことであったからです。小学生にトレーディングカードや女子高生に携帯のストラップがひどく価値を持ったりするのと同様です。
アートが社交の場で「あの人は粋である」「教養がある」「趣味の洗練された人である」という評価を得るための道具である以上、売り込むことを考えるなら、そういう人間の用に立つプランを考えなければなりません。演出の戦略次第では、非常に斬新であるという評価と話題を得ることもできます。
もちろん、アートにそういう価値と価格を見出すのは一つの価値のあり方であり、それとは別の価値基準でアートを愛好する人もいます。読み応えのある記事。「僕らはどんなに素晴らしい作品を作ったとしても、寡黙な職人ではダメなんです。世界で戦うためには、発信力がなければ通用しません。」これはアートを生業とする人だけではなく、程度の差はあれ誰もに通じる。
日曜の朝から、素敵な読み物をありがとうございました。
後ほど、再度読み直したいと思います。