多文化共生社会への道を歩み始めた日本に望まれること
コメント
注目のコメント
欧米でそうなっているように、日本でも10年もすれば、移民問題が社会の主要な対立軸になるでしょう。かつての右派とか左派が資本主義と社会主義といったことではなく、移民の受け入れと定着を支援するか否かになります。
当面、政治に望まれる役割は、妥協点を設定して社会の対立を緩和することです。この場合、移民(労働者)の存在を否定することなく、その弊害ができるだけ出ないようにすることです。最も費用対効果が高い措置は教育で、特に日本語の教育です。そして、保険と年金制度に参加してもらって、権利と生活水準を保障することです。権利と生活を保障してもらうことくらい、帰属意識を高められる措置はありません。
権利と生活、教育をないがしろにされている人々が国内にどんどん増えていけばいくほど、リスクは時限爆弾のように膨れ上がっていきます。「相手の価値観を理解しながらもコミュニケーションする事」と「相手も同胞であるに違いないという前提でコミュニケーションする事」には大きな隔たりがあると思いますね。
前者は世界的に推進されるべきですが、後者を進めれる程には人類は進化していません。
そもそも後者を進めようとするのが所謂「リベラル」勢力ですが、相手は当方を「同胞だ」等とは思っていません。記事にもある通り、その非対称性に問題があると思います。
東日本大震災で原発が爆発した時、在日外国人、訪日外国人の多くはどのような行動をとったでしょうか。
祖国の危機だと、ナショナリズムを共有して助け合った方も相応にいるでしょう。しかしながらマジョリティは「(本来の)祖国へ逃げた」のでは?
一言で言えば【理想に対する片思い】ですね。
「私が相手を好きなのだから、相手も私を好きに違いない」みたいな、頭でっかちの非モテの発想のような考え方は止めるべきだと思います。
「多文化共生社会」は国境を隔てた上で実現すべきであって、国境の垣根を下げて移民を多く受け入れる等という愚かな方向に舵を切ってはならないと思います。
人類の最大のコミュニティは国境(ナショナリズムが共有できる範囲)に限られている。