英語講師のカリスマは、なぜ英語4技能を推奨するのか?
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記事の中で、「生徒はスピーキングをしたい」という記述がありましたが、これは彼らが経験した数少ないスピーキングの機会で、「これは書くより楽だぞ」と思う面もあると思います。日常でも話した方が早いことはありますし、やっぱり生徒は書くことがめんどくさいと思ってしまいます。
しかし、4技能の統合とそのバランスのとれた育成は学習指導要領でも言われていることなので、やはり大学受験には4技能を測るという機能があってしかるべきだと思います。
「受験英語」という響きがネガティブになりつつある世の中ですから、施行にむけて、民間の試験を本当に活かすのかどうかという点について、ガチで決めなくてはいけません。
さもないと、特定技能実習生の時のように、制度が曖昧なまま始まってしまうという最悪のケースが起こりかねません。ここに書いてられる対象の生徒は、所謂、英語が優秀な生徒さんなのです。そして、英語に時間が取れる生徒さんは、カリスマ先生の指導についてこれるわけです。
しかし、私のように凡庸で、数学だけがまあ人よりはできる生徒はどうなるんでしょうか?とても、カリスマ先生の指導にはついていけないのです。これは反対も言えるわけです。語学できても、数学苦手な人は山のようにいるわけです。その人達の大半は数学を捨てるわけです。でも、英語は捨てられないのですよ。東大が英語検定を、出願条件だけに使うのは当たり前なのです。高校で数学や理科勉強してたら、英語の勉強時間が取れないわけです。英語検定まで、手が回らないのですよ。
だから、ペーパーテストの大学入試をやめて、外国のように大学に入ってから、卒業が難しい大学作りをしないと、日本人の英語は普通にもならないのです。今の日本の英語教育は明らかに異常です。つまり、受験英語の教育ですから。「使える英語」の対極にあるのは「使えない英語」で、その時の「使えない」の意味は「話せない」です。ですが、大学では逆に生徒の読解力が落ちて論文が読めずに「使えない」と言われてます。
英語教育100年の歴史を否定して無かったことにするのではなく、「これまで通り読めるけど、さらに話せる」というのが正しい進歩だと思うし、僕はそういう英語教師でありたい。
蛇足ながら僕がスピーキングを指導に入れるのは、アウトプットがライティングの10倍速い、自分の英語が伝わるかどうかのフィードバックも速い、よって英語学習のモチベーションも上がりやすい、という点で有用だと思うからです。