【新トップのビジョン】新生IBMは「オープンに生きる」

2019/6/19
2019年5月1日付で日本IBMの代表取締役 社長執行役員に山口明夫氏が就任した。同社の社長職はこれまで3代7年にわたって外国籍者が務めていた。山口氏は、日本IBMのエンジニア出身で、2017年7月から取締役専務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス(GBS)事業本部本部長を務めていた。

日本IBM生え抜きの幹部から新社長に就任した山口氏は、日本のビジネスを本格的な成長軌道に乗せることができるか。6月5日に開催された説明会で山口氏が語ったビジョンを基にその可能性を探る。

キーワードは「beyond the boundary」

山口氏は説明会で、日本IBMグループ全社員に向けて5月に発表した新ビジョンを披露した。それは「最先端のテクノロジーと創造性を持って、あらゆる枠を乗り越えて、より良い未来づくりに取り組む企業グループ」というもので、この「あらゆる枠」には、顧客、仲間(競合を含むパートナー)、そして社会も含まれている。
新ビジョンの中で特に注目されるのが、「枠を超えて」(beyond the boundary)というキーワード。これには、「お客様とIBM、パートナーという従来型の枠組みだけでなく、スタートアップ企業や学術/教育機関、経済界、政府機関など、あらゆるステークホルダーとの連携を強化して、強力なエコシステムを構築していく」という意味が込められている。
日本IBM 山口明夫 代表取締役社長執行役員
新しい体制の下で、日本IBMは、自社のAIやクラウド、ブロックチェーンなど最先端のテクノロジーを追求しながらも、顧客や社会の環境やニーズの変化に応じて、IBMの製品やサービスだけでなく、他ベンダーのAIやクラウドも含めて、顧客や社会のデジタル変革に必要とされるあらゆるサービスとの連携を図りながら、デジタル変革をリードする戦略を展開しようとしている。日本IBMは、生き残りをかけて、この戦略に勝機を見いだそうとしているように映る。

クラウド活用の“第2章”は、攻めの変革

日本IBMが新しいビジョンを打ち出した背景にはどのような環境の変化があるのか。山口氏は、「クラウドの活用はトライアル期の第1章から本格活用が進む第2章へとシフトしつつある」との見方を示す。
第1章では、クラウドの活用は、ノン・ミッションクリティカルの領域で部門単位に実証実験を行っている段階にとどまり、ほとんどが受け身の変革にすぎなかった。
しかし、第2章に入ったいま、クラウドはミッションクリティカルの領域も含めて全社レベルで本格的に展開されるようになり、その稼働環境もハイブリッド、マルチクラウド、さらにはマルチAIなどさまざまな形態になってきた。「企業にとっては、まさに攻めの変革の時代へとシフトしつつあると言えるようになった」(山口氏)
第2章について山口氏は、「構築を進めてきたさまざまなデジタル系のシステムと既存のビジネス系のシステムを密につなげ、全体をカバーするエコシステムを構築することによって、デジタル変革を実現することができる攻めの時代が到来しつつある」と解説する。
しかしその一方で、「第2章とは言え、次の新たな世界につながる通過点に過ぎない」と指摘。「あと10年もすれば、街中に自動運転車が走り、ドローンが荷物の配送を行い、プロジェクションマッピングされた景色が広がるなど、デジタル変革が社会全体に広がる時代がやってくる。当然、こうした変革にも準備しておく必要がある」(山口氏)

業界別にオープンなプラットフォームを提供

新しいビジョンの中で山口氏が重点分野のトップに掲げているのが「デジタル変革をリード」することだった。そのための具体的な施策として挙げたのが、下記の3つだった。
① Open/As a Service/Industry Platformの推進
② 先端テクノロジーによる新規ビジネスの共創
③ IT人材の育成
Yamaguchi’s Focus Area 1
Open/As a Service/Industry Platformの推進
ここで言うOpenとは、IBM製品だけでなく、変革に必要なあらゆる製品やサービスを結集して活用すること。そして、As a Serviceとは、必要な機能やサービスを必要な時に利用可能にすることである。それを実現するためには、業界ごとにプラットフォームを構築し、すべての関係者が協力して推進できるエコシステムを確立して展開していく必要がある。
具体的な業界プラットフォームとしては、銀行業界向けの次世代勘定系ソリューション、製造業界向けのスマート・ファクトリー、国際貿易向けのプラットフォーム、医療業界向けの電子カルテや動物病院向けプラットフォーム、ブロックチェーンによる情報交換などが掲げられている。
こうした業界別プラットフォームは世界でみるとすでに事例がある。
例えば、IBMとデンマークの物流大手Maerskが立ち上げて94社が参加する国際貿易プラットフォームは、ブロックチェーン技術を使って、貿易に関わるあらゆるイベントや大量の書類をリアルタイムに共有することによって、ペーパーレス化、トレードとプロセスの可視化を実現。国際貿易にかかわるコストやリードタイムを大幅に削減することに成功しているという。

また、日本IBMと製薬会社が共同で開発した動物病院向けの医療プラットフォームでは、クラウドによる電子カルテの統合的な管理や手続きの自動化、飼い主とのコミュニケーションの強化を実現している。
製薬業から「デジタルプラットフォーマー」への挑戦
こうした業界別のプラットフォームの展開に向けて、デジタル変革のロードマップに沿った新たなサービスメニューを提供するとともに、基幹システムなど既存のビジネスサービスと新たなデジタルサービスを統合するための全体アーキテクチャーを業種別に提供している。
AIなどの先端技術を積極的に採用する業界プラットフォームを提供していくうえで、とりわけ重要なのが、信頼性と透明性の確保である。企業のクリティカルな業務にAIなどの先端技術を大規模に導入する場合、結果が導き出される過程に一部でもブラックボックス化した部分が含まれていたとしたら、プラットフォーム全体の信頼性・透明性が失われる危険性があるからだ。
IBMは2017年に「信頼性と透明性に関する基本理念」を策定し、AIなどの先端技術をユーザーが安心して本格的に活用できる環境の整備に取り組んでいる。

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先端テクノロジーによる新規ビジネスの共創
「お客様のデジタル変革をリード」するための2つ目の施策は、「先端テクノロジーによる新規ビジネスの共創」だ。その具体的な取り組みの一つが共同研究の推進であり、山口氏が最初に紹介したのが、マサチューセッツ工科大学(MIT)とIBMが共同で2017年に設立した「MIT-IBM Watson AIラボ」である。
次世代AIの研究に取り組む同ラボには、IBMによって10年間で2億4000万ドルもの投資が行われることになっており、現在50に近いプロジェクトが研究を進めている。
共同研究については、量子コンピュータの実用的な活用を探求するコミュニティとして企業や研究機関が参加する「IBM Q Network」が2017年12月に設立され、国内においても2018年5月に産学協同の研究拠点となる「IBM Q Networkハブ」が慶応大学理工学部矢上キャンパス内に開設されている。
また、IBMの研究機関であるIBM Research内に設けられた「IBM Research Frontiers Institute」は、企業の壁を超えた基礎研究コンソーシアムであり、参加企業は、研究テーマを通じてIBM Researchの研究資産を活用することができる。
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IT人材の育成
国内では、IT人材の不足が深刻化しており、デジタル変革を実践するうえで大きな課題となっている。日本IBMでは、AI人材の早期育成のための教育支援プログラム「IBM Cognitive Technology Academy」をはじめ、IBMのAI専門家からスキルやノウハウを習得する研修プログラム「データ・サイエンス・エリート協業」、実際の業務開発を通じてAI技術を身につける実践プログラム「Data and AIガレージ」など、初心者から上級者までを対象とする多彩な教育メニューを用意している。
また、金沢工業大学と関西学院大学が日本IBMと共同で学生・社会人向けのAI講座を開講しているほか、学生向けのインターンシップも実施している。さらに、大学だけでなく、東京都の教育委員会と協力して、工業高校や専門学校を対象としたAI教育プログラムの開始も計画している。

労働環境の改善や社会貢献の推進も

そして、3つの注力施策だけでなく、自身のビジョンとして最後に付け加えたのが「社員が輝ける働く環境の実現」。これまで、柔軟なチーム編成や社員間のコミュニケーションを促進するためのアジャイル・オフィスの拡充(本社への新規導入、大阪、福岡、名古屋事業所のリニューアル)をはじめ、在宅勤務環境の整備、各種休暇の拡充(育児、ボランティア、介護)などに取り組んできた。これらについて、「引き続き社員の多様な働き方を支援する取り組みを推進していく」(山口氏)という。
また、5つのダイバーシティ・カウンシル(女性、障害者、LGBT+、マルチカルチャー、ワークライフ)の提言に基づいて、さらなるダイバーシティの推進を図るほか、社員の両親などをオフィスに招待する「Appreciation Day」の実施、夏期小学生向け学童プログラムの開始も予定している(2019年8月)。
山口氏は、「日本IBMグループは、最先端の技術を駆使し、あらゆるステークホルダーとの連携を強化すると同時に、社員が力を発揮する環境を整備することによって、企業と社会のデジタル変革をリードし、社会貢献に努めていく」と強調し、説明会の最後を締めくくった。日本IBMの、そして日本のビジネスを本格的な成長軌道に乗せられるのか、山口氏の手腕に注目が集まる。
(編集:木村剛士、真野祐樹/ノーバジェット、取材・構成:益田昇、撮影:長谷川博一バナーデザイン:大橋智子)