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【教育、もうやめませんか】福沢諭吉は異議を唱えていた 訳語が違えば日本も変わっていたかもしれない - SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト

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  • リクルート プロダクトデザイン

    そのとおりだと思います。社会に出たら知っているだけでは、なんの価値も出さない。知って、考えて、行動してを繰り返してはじめて価値を出すのに、学校だと知るに対して集中しすぎていると思います。

    ===
    「教わって育つ」 あくまで1要素


  • システム開発企業 経営企画 / FUNNY FACE 代表

    数年前から教育界の一テーマである「非認知能力」。IQで表せるような知識ではなく、生きる力や粘り強さ、チャレンジ精神などの能力の総称です。自立し社会で活躍する上で非常に重要であると注目されています。
    ところが非認知能力は詰め込み型の勉強では身につかず、良い環境が育むという説が有力です。親に大切にされている、先生は自分を気にかけてくれる、クラスの居心地がいい、などの環境です。

    > 学校というのは人にものを教えるところではなく、人が発達するのを邪魔せず促進する環境である。

    福沢諭吉は、100年以上も前に学校がどんな場所であるべきか知っていたんですね。少し感動しました。


  • いまの学校は本当にただ教えるだけになってしまっていると思う。ひどい先生はただ教科書を読んでいるだけに近い。全体として学力をつけるために学校というのはほとんど無用になっていると感じる。学ぶために必要なのは場所と情報にアクセスするためのスマホや本、参考書だと思う。
    これからは学校に通う意味も変わっていく必要があると思う。第一の目的はコミュケーション力を育むことでいいと思う。


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