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大学には知も人材も揃ってる。ただ、今も産業界との連携が少ないと感じます。東大は連携が多い方だと思いますが、世界に目を向けてみるともっと多種多様であって良いのだろうと。
・テクノロジーと社会システムや経済メカニズムを結合して未来のあり方を探るのは、たいへんクリエイティブな作業
・各分野の学問は、これからきっとますますおもしろくなっていくでしょう
だからこそ、下記状況を打破する貢献をしていきたい。

「私自身も東大の工学部と理学部で長らく研究室を持ち、マンツーマンで指導してきた教え子がこれまでにおよそ100人います。手前みそですが、たいへん優秀な人たちばかりです。
7割ほどは産業界に活躍の場を求めていきましたが、このところの産業構造の変化の影響か、その人たちが能力を存分に発揮できない例が少々見られるようになってきました。
本来ならいまこそ大活躍して、社会の中心的存在になってもらわなければいけない能力を持っているはずなのに、これはたいへんもったいないことです。
そうした例はきっと他の場所でも起きているのではないか。」
「国立大学は、知識集約型の新しい産業のハブとなる機能と能力を備えています」といわれると、それが「本当だろうか?」と思う向きは多いと思います。
 知識集約型社会というと、以前の労働集約型産業では儲からなくなる社会ということで、豊富な労働力にまかせて農業などをやっていても儲けが少ない、ということになります。グローバル化で、日本の農家や工場労働者が、中国の農家や工場労働者よりも高い給与をもらうのはおかしい、といわれるようになります。世界はフラット化するべきで、同じ労働なら同じ給与であるべきだ、といわれるようになります。世界トップクラスの一人当たりGDPを得たければ、日本人全員が金融とかエンジニア兼デザイナーのような上流工程で働かなければならない、という話になってしまいます。
 仮にそうなるとして、国立でも私立でもいいですが、大学が日本人をそういう働き手に変えるのか、あるいは、そういう雇用をつくりだすにあたって指導的な役割を果たすのか、というと、あまりそうは思われていないでしょう。一部にはそういう大学もあるかもしれませんが、日本は現場信仰が強い社会です。「現場のことは現場にしかわからない」という主張が強く、大局的な知識は求められません。
 日本に760以上ある大学は多様化しています。中には、知識集約型社会を推進する大学もあるでしょうが、むしろそれに抗しようとする日本社会の人々に近い大学もあります。甚だしい例だと、外国人学生(労働者)にビザを卸して荒稼ぎしていた日本福祉大学のようなところもあります。
 とりあえず、「大学の役割」というのを一つのタイプ示されても、別のタイプで行こうとしている大学は実際は多いでしょう。
大学は社会の映し鏡ですので、社会(企業)が「入ってから何をやるか分かりません。そして2~3年に1回異動します」という総合職採用を貫いている限り、学生は真面目に専門分野を勉強するインセンティブがありません。変わるべきは大学ではなく(大学も、ですが)、企業における雇用のあり方だとおもいます。
認識は私も同じです。

〉獲得した知識や情報をどうやって生かし、価値をつくっていくか、学生も教員もともに考えなければなりません。学生のうちにどんな力を身につけるべきか、皆で試行錯誤しながら進むのです

大学には研究と教育の両輪が期待されていますが、学生と教員の共同活動によって実現できるものです。
知識の陳腐化が著しくなり、人文科学的な知見の深さが重要になるこれからの時代には、学生も社会人や留学生を含めた多様な構成にならないと、室の高い研究や教育ができなくなります。

ところが、総論では理解しても各論や具体的な適用となると学内から抵抗されてしまうこともあるようなので、なかなか改革が進んでいない実態もあります。
「時代やテクノロジーの進化に合わせた法制度はどうあるべきか、新しい経済成長戦略をどう立てるか、より多くの人々が生き生きと暮らせる社会をつくるために哲学や思想がどのような役割を果たせるか……。」

現実問題として、この役割を果たせるというか、担うことを許されているのは、(必ずしも研究者志望でない)学生と、すでに実績とポストを持つ(一部の)教授クラスに限られてしまっているのも事実かな、という気もしています。

これは、大学というより、広く学問のあり方やその評価のあり方の課題で、学問は自由いう言葉とセットで語られることも多いですし、未知の探求こそが本質みたいな言われ方もするわけですが、その方法論の緻密性、厳格性、客観性が足かせになることもある。

特に、今こそ未来思考で制度やルールを考えなければならない社会科学において、その矛盾を痛感します。エビデンスのない未来の話を、論理の積み重ねや予測で語っても(狭義の)研究実績にはならない…もちろん、居酒屋談義レベルの緩い議論が許されてよいわけでもないのですが、最近、かなりもやもやしています。。
大学に関わる全ての人。価値創造はすでに大学以外でも多々起きていて、そこにも大学は関わっていかないと「大学はもはや、有利な条件で社会へ進むためのパスポートを得る場所ではありません。大学に関わるすべての人が、ともに新たな価値創造をしていく場へと転換しつつあるのです」
ハーバードで医工学の研究をしています。
研究所なので教育は間接的に関与する形ですが、学部や修士のインターンシップを受け入れています。
各国から優秀な学生さんが来ていますが、やはり目的意識が高いですね。ここでの経験を社会でどう生かすかについて、彼ら自身の考えがあります。「学歴に箔をつけるために来ました」という人はいません。というか、そういう態度だとそもそも相手にしてもらえません。
彼らはインタビューを経て来ているので、そこでのフィルターがしっかり効いていると思われます。

表に出る機会は少ないと思いますが、日本の大学にも、いかにして社会に貢献できる人材を輩出するかについて真面目に取り組んでいる教員が確かに存在します。ハーバードのように、大学で育った学生が社会で実効的に価値を生み出す流れを作りたいです。
さすが的確な表現。単なるスクリーニング装置から社会変革の拠点になれるか
"大学は「人材の高い発射台」であることが求められていました"
この総長のコメントを受けて、大学と関係のない方々がどういうコメントされるのかを見るのが楽しい。いろんな見方があるなぁと