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ペラいインフォグラフィックで全部理解した気になれることしきり。

古代ギリシャ時代はエネルギー源は奴隷労働力で、市民は暇になって空想ばかりしていた。

人口が増えてくると土地や資源を争って戦争が増え、社会を組織化して秩序を保つために宗教が必要に。

技術の進歩と使用するエネルギー(人力、馬力から、水力、風力、そして化石燃料)の変化に伴い、工業化が始まったことで近代となり、宗教の位置付けは後退し、次第に科学主義になってくる。暇が増えた有閑層の一部はギリシャ哲学に先祖返りして、主体や責任という概念が出てくる。

20世紀以降は、ニュートン古典物理学を科学としたカントの科学観をなかなか抜け出せず、人文科学としての哲学は自然科学と没交渉に近くなってしまい、正直不毛な論争を繰り広げて来てしまった感がある。(その前の論争もある意味では不毛だが)

今や何を哲学と呼べばよいのか分からない時代だが、一応実在論や運命論など存在や確率を扱っている(らしい)ものや、加速主義など社会や経済を扱ったもの、それから主体-責任や能動受動を扱うもの、などがあるように思うが、今や人間を扱っている科学にとってはこうした論争にも殆ど答えは出ていて、解釈の仕方の余地を楽しむアートになっている気がする。

そう、「楽しめる不毛さ」こそアートとしての哲学。

ただし、繰り返し検証不可能。繰り返し検証可能な楽しめる不毛なアートが科学。その意味ではアートの対義語は、リテラリーなアルゴリズム。

次の特集では、「'使える"とは何かを哲学する」でもやってください。
私は、相対主義大賛成の立場です。

他者に迷惑をかけない限り、どのような考えを持とうがどのようなライフスタイルであろうが、各人の自由だと思っています。

カントの道徳律などを読んでいると、「そんな窮屈なこと、とても我慢できない」と反発してしまいます。

迷惑をかけられていない以上、他者の自由も最大限尊重すべきだと考えます。
哲学を実用主義的に語るのはあまり好きじゃないのですが(急に胡散臭くなるため)、
我々が「大きな哲学のない時代」に生きていることは確かだと思います。

この記事の通り、西洋哲学は個人と切り離された唯一無二の真実がどこかにあって、それを探求する旅路だと例えられます。

万物の根源は火だ!いや水だ!いやいや自我だ!

そうやって仮説を作ってはまた否定され、長い歴史の中でアップデートを繰り返されてきましたが、そこに終止符を打ったのがかの有名なヴィトゲンシュタイン(だと自分は勝手に理解しています)。
世の中は無根拠なルールに基づいたただの「言語ゲーム」に過ぎないと一刀両断し、結果一時期世の中を席巻した構造主義(世の中は何か普遍的な構造に基づいて成り立っているという考え)は下火をたどることになります。

これまでの哲学的議論を根本から否定したこの流れの後、万人にとっての普遍的真理の探究は混迷を極めることとなりました。その流れに拍車をかけたのが脱構築を唱えるデリダだったりします。

いずれにせよ、ヴィトゲンシュタインのいう通り、我々は単なる言語ゲームをしているだけなのかも知れません。
自分が考えていることも、正しいと信じていることも、全ては一方的に与えられたシステムの中で「正しいと思い込んでいる」ことに過ぎず、その普遍的正当性を証明することはおそらく出来ないでしょう。
そういう意味で、ポスト構造主義と言われる現在は、既存の哲学的議論の延長ではなく、抜本的に違うアプローチが求められているように思います。

自分はそこに東洋思想が何らかの補助線を引くのではないかと(かなり漠然と)思っていますが、思索と実証を重ねて自分なりの答えを見つけたいなと思っています。
私は科学哲学専攻なんですが、一流の科学者って実は哲学的な人が多いんです。経営者や芸術家もまたしかり。要は人真似や前歴だけで動かず、自分の頭でじっくり考えるということですよね。第四次産業革命が進行中のいまこそ哲学が大事です。
申し訳ないけれど、高校の倫理社会のレベルだ。

20世紀後半の議論である相関主義や思弁的実在論あたりまで踏み込まないと、プレゼンとして「他人にどれだけ情報を与えるか」という尺度で合格点には至らないよ。
だから、相対主義でのトランプの論点が唐突に出てきてしまう。
何が正しいとか、自分が何主義だとかの思いはありません。
長い人生を送りいろいろな経験を積むと、私にはそれぞれすべて納得するのです。
改めて人生を振り返り、人生って何なのか? 仕事って何なのか? 社会って何なのか? なんて考えたくなる、そんなお年頃なのです。
時代と共に哲学者の方々の主張も変わってきているのがとてもよく分かります。
昔から変わらず人間の悩みの種になるものもあると思います。そして、人間自身の事なのに未だに人間自身で解決しきれないというのが哲学の面白さを感じます。