【限界集落】ふるさとの消滅は何を意味するのか

2019/6/22
新たに就任した「U-30 」のプロピッカーが、"数字"をキーワードに捉える「令和の日本」。それぞれの専門分野について、若きエキスパートが考える現状や課題とは?
消滅の危機に瀕した集落や自治体にも、老いじたくや終活が必要ではないだろうかーー。地方創生、地域活性化が叫ばれる現在、“地域の終活”というこれまでにない概念を提唱するムラツムギ代表の田中佑典さんが、自身が生まれた限界集落の思い出とともにこれからの集落が取るべき道を語ります。
消えゆくふるさと
「日本の市町村の約半数にあたる896に消滅の可能性がある」
「日本創成会議」(2019年5月現在は活動を休止)の座長を務める東京大学公共政策大学院客員教授の増田寛也氏はこう報告し、世に大きな議論を巻き起こしました。いわゆる「増田レポート」です。
この報告が行われたのは2014年5月、同会議の人口減少問題検討分科会でのこと。増田氏は若年女性の人口を「再生産力」を表す指標としたうえで、「若年女性が急減する市町村は2040年には消滅するおそれがある」と警鐘を鳴らしたのです(表1)。
出典:日本創成会議「2040年 全国の『消滅可能性都市』の分布(福島県は調査対象外)」から著者が改変
上述のような論拠から、日本の市町村の約半数が消滅するというのはミスリーディングだなどの反論もあります。確かに、そもそも自治体とは、時代の流れに合わせて形を変えてきたバーチャルなものですから、その数自体にさほどの意味はないとも言えるでしょう。
とはいえ、地方における人口減少が深刻化しているのは事実です。地方から三大都市圏への人口移動、いわゆる社会減は一時期を除いてほぼ一貫して続いています(表2)。
出典:日本創成会議・人口減少問題検討分科会「ストップ少子化・地方元気戦略」(平成26年5月)より著者改変
人口1万人未満の小規模な市町村においては、若者の流出とともに高齢化も進んでおり、2040年にほぼ半数が高齢者になるとされています(表3)。また、2050年までに現在の居住地域の約2割が無居住化し、6割で人口が半分以下になるという報告もあり(国土交通省国土政策局「新たな『国土のグランドデザイン』骨子参考資料」平成26年3月)、今後、自然減が急速に進むことも想定されます。
当該市町村における総人口のうち、65歳以上の人口が占める割合を表したグラフ。人口規模が1万人未満の市町村において、高齢者の割合が最も高い傾向にあることがわかる。

出典:国立社会保障・人口問題研究所「地域別将来人口の推計」(平成25年3月推計)より総務省作成。なお東京都特別区を含む。
「集落」という単位
地域から人がいなくなる。このことを、みなさんは具体的に想像できるでしょうか。私の胸にはその光景が、実体験として焼きついています。
私のふるさとは奈良県の南の過疎地域にあります。高度経済成長期に日本有数の人口流出を記録し、1950年代には4000人近くいた人口が、自分が生まれた頃には1000人前後、今では300人ほどにまで減少しました。結果、すでにいくつかの集落で統計上の人口は0人に。
その中には、災害で移転を余儀なくされた集落や、住人がいなくなり文字通り自然に還っていった集落もありました。実は、私の実家もダム建設に伴い、川底に沈みました。現在の家は水没後改めて高台に建てたものですが、その時の話を幼い頃よく祖父母から聞かされていた私は、「集落が消滅する」ということをとても身近な出来事として感じていました。
かつて、この川の底に集落があり、筆者の実家もそこにあった。現在、住民基本台帳上では85人(平成31年3月時点)が登録されていますが、住民票だけを残している方も多く、実際の生活者ははるかに少ないと思われる。
では、「集落」とは何か。
それはミクロな視点で社会を見たとき、我々の暮らしに密接した、最も基礎的な社会的単位のことです。さまざまな定義はありますが、町内会くらいの圏域を想像していただければわかりやすいでしょう。
自治体がバーチャルな存在なのに対し、集落は歴史の中で自然発生的に形成された共同体であり、そこには互いに助け合う機能的な側面と、感情に基づく紐帯(ちゅうたい)という精神的な側面の両方が備わっています。
このような集落について国土交通省と総務省は平成28年、「平成22年からの5年間に全国で174の集落が消滅(=無居住化)した」と発表しました(参照:「条件不利地域における集落の現況把握調査について」)。
現存する集落に目を向けると、住民の半数以上が65歳以上である集落が20.6%を占めており、構成人数が9人を下回る集落が2500近く(同上)。さらに、「今後10年以内に消滅の可能性がある集落は570(集落全体の0.8%)で、いずれ消滅すると予測される集落は3044(同4.0%)」と報告されています。
地方創生に志はあるか
ここで、マクロな話に戻ります。
2004年にピークを迎えた我が国の人口は、これから急速な減少をたどると想定されています。「『国土の長期展望』中間とりまとめ」(国土交通省)によると、日本の人口は2030年には1億1522万人、2050年には9515万人、2100年には明治維新後と同水準の4771万人まで減少するといいます(表4)。
出典:1947~2015年は総務省統計局「推計人口(各年10月1日現在)」から、2016~2060年は国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成29年4月推計)」からいずれも総務省が作成したものを著者改変。
このように国家レベルで人口減少が進む傍らで、「地方創生」が声高に叫ばれるようになりました。地方創生の取り組みそのものを否定するつもりはありませんが、集落の中には明治維新後に急増した人口を吸収するために新規開拓され、時代の変遷に伴ってその役割を終えた地域もあります。こうした現実を考慮せず、あたかも地域活性至上主義とでもいうように地域の存続のみが最優先される現実に、私は強い違和感を覚えます。
集落は人の交わりによって形成され、村落や都市は集落の交わりによって形成されてきました。その中心にあるのは、あくまで“人”です。
しかし近年は、個人の幸福が置き去りにされたまま地方創生だけが注目されています。集落や地域社会を維持することそのものに意味があるのか、考え直すタイミングがきていると私は考えます。
「世界の終わり」を前にして
「集落の消滅」をマクロな視点で捉えれば、食料自給率の低下、農山村文化の喪失、水源涵養(かんよう)機能の低下など、一般的には集落が担ってきた機能の観点から問題が指摘されています。しかし私は、集落の消滅を間近に見てきた者として、あえて徹底的にミクロな目線で語りたい。
社会学の用語で、社会成員の主要な生活欲求が満たされる範囲を「全体社会」と呼びます。ある地域に生まれ、ほとんどそこを出ずに暮らしてきた住民にとって、全体社会とは集落そのものであり、そこに含まれる人の数は決して少なくありません。そのような集落で生まれ育ち、働き続けてきた人々にとって「集落の消滅」とはどういうことでしょうか。
端的にいうなら、それは「世界の喪失」です。文化、歴史、伝統、町並み、風景、人間関係、土のにおい、風の音――。自分が生来慣れ親しんだもの、生きてきた軌跡、その人を取り巻くあらゆる要素を根こそぎ失うという経験に他なりません。
私はそんな経験をした人を知っています。幼い頃、向かいに住んでいた老人は夕刻になると、よくダムのほとりをうろついていました。「水が引いたときに、昔の集落の面影を見たいから」と。限界集落に生まれた私はその頃から、「集落の消滅を温かく迎えるために何ができるのか」という問いを常に抱え続けてきました。
ふるさとの看取り方
2014年に開催したTEDxSakuで私は、「ふるさとの看取り方」という概念を提示しました。人にターミナルケアがあるようにふるさとにも看取りが必要だという提言です。
これがきっかけとなって昨年、ふるさとの終活を考える「ムラツムギ」という団体を立ち上げました。「ふるさとの終活」も人の死からの連想ですが、この言葉にはマクロ的な議論をするのではなく、住民の寂しさに寄り添いたいという自分たちの理念を込めています。
先日開催したムラツムギのローンチイベントには全国から大きな反響をいただき、地域団体や地域おこし協力隊だけでなく、官公庁や民間企業の方々など、非常に幅広い参加者とともにふるさとの終わり方を考えることができました。興味深かったのは、実際に地域活性化を担う多くの方々にご参加いただいたことです。参加のきっかけを尋ねてみると「地域活性化一辺倒のアプローチに限界を感じた」「福島で復興に携わるうちに“まちの終わり”を意識するようになった」と、現場に関わったからこそのコメントが聞かれました。
ムラツムギ ローンチイベントの様子
現在、ムラツムギでは、集落の住民自らが消滅に向き合い、来たるべきその時に向けて必要なアクションを考えるための「エンディングノート」の作成を進めています。集落の消滅といっても、事前にきちんと準備をすれば何らかの形で「生きた軌跡」を残せます。例えば私の場合、故郷の歴史を記した「村史」が重要な手がかりとなり、集落の過去を知り、自分のルーツをたどることができました。
限界集落の住民にヒアリングする筆者(左)。
集落にも人間と同じように体力があります。だからこそ体力のあるうちに、集落の消滅に備えて、地域が後世に残したいものを探し、残すための行動を始めなければなりません。このプロジェクトで作ろうとしているエンディングノートは、まさに集落の歴史を振り返り、その軌跡を記録するための手順や手法、プロセスのデザインなど終活を進めるためのガイドブックのようなイメージです。
また、失われつつある地域祭事や伝統芸能をアーカイブするプロジェクトも進めていく予定です。まだ構想段階ですが、VRやARといった技術が集落のアーカイブに活用できるのではないかという提案もいただき、どこかに拠点を見つけて実証を進めていきたいと考えています。
時代に終止符を打つ
遅かれ早かれ、全国で地域社会の消滅は起こるでしょう。政府も自治体も、それを食い止めるために頭をひねり、できることを探しています。ただその一方で、今も地域社会はなくなり続けています。そこに目を向けなくていいのか。怒りにも寂しさにも似たその感情が、私の原点でした。
世の中が前に進んでいけば、誰かが置いていかれることは必然です。変化を好む人間にとって、令和は最高にエキサイティングな時代になるでしょう。私自身も変わり続けることを恐れずに歩みたいと思っています。
ただ、世の中全体が同じスピードで進むわけではありません。時代についていけない人間や地域社会に対して、誰がそれを悪いと言えるのでしょうか。
日本の人口が4000万人台まで減少する2100年までには、人の生活圏は間違いなく狭まり、インフラ、行政サービスなど全てが縮小していきます。そんな未来を前に、時代は明らかに転換点を迎えているのです。
新しい時代を創ると同時に、過ぎ去った時代をいかに終わらせるかを考えることも、そのはざまに生きる私の役割です。