いくら頑張っても幸福になれない理由は、幸福の本質が「なる」ではなく「見つける」だから。
コメント
注目のコメント
最後に出てくる「幸福になるための一般教養」が、ポジティブ心理学という学問を中心に、この20年大変発達しています。このヨーロッパの滞在経験の長い人の経験談に頼らずとも、よりデータで検証された知見が既に沢山溜まっています。この方が紹介しているポイントも既にデータで検証済みのことがほとんどです。
それと「幸福な人ってのは、「自分がいかなる状況でも「幸福である」と信じる力を持っている人」のことなんです。」これは大変大事です。
この能力を日々習慣化し、高めるために、私は、この10年毎日、朝に昨日何をやったかを振り返り、記録し、それを見ながら、昨日を10点満点で採点しています。そして、ここがポイントですが、採点ではかならず10点満点をつける、10点満点であるストーリーや理由を考えるのです。
我々は、一日に100個いろいろなことを経験したとして、99個最高のことばかりだったとしても、1個ネガティブなことがあるとすると、この1個のネガティブなことにアテンション(注意)を向けてしまいがちなのです。そうすると、この99個の最高な日が最低な日と認識することになってしまいます。これは客観的にはおかしな認識です。このアテンションをより自分でコントロールするようにできることが幸福になるために必要な大事な能力なのです。
私自身も、漫然と朝一番に昨日の印象を思い出した瞬間には「暗い日だったな」と思うことがあります。ところが、上記のように、昨日あったことを、リストアップしてみると、驚くほどよいことが起きていることが多いのには、本当に驚かされることが多いです。そして、アテンションをこのように変えるだけで、世界は全く違った物に見えて来るのです。日本では幸福度って時系列で見ると上がってきている。お金なくても幸せを見つける力っていうのは、経済的な力が失われていった平成の時代に、逆説的に日本人が身につけつつあることなのでは。
つまり、彼の言葉の裏を返せば、不幸な人とは「私には足りないものがあり、そのせいで幸福になれない、と思っている人」のことだと言える。
仕事がないから、不幸だ。
お金がないから、不幸だ。
モテないから、不幸だ。
だから、「幸せ」は、「なろう」=「手に入れよう」とすると、とても苦しくなる。