【削除されました】養殖物2019年5月30日(木)編
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おはようございます。
先ほど、ここ1年近く愛用していたマドラーが折れてしまいました。
熱湯で繰り返し洗っていたので、熱疲労が原因かと思っています。
使いやすかったのに残念です…
…と書くと、とても立派な品に聞こえますが、実はどこかのホテルのアメニティに付いていた、何の変哲もないポリプロピレンの棒です。
最近、脱プラという言葉がよく聞かれますが、本来捨てる必要もなく、繰り返し使えるプラスチック製品も多分にある気がします。
まあプラスチックの主戦場は自動車産業なので、社会的にはストローやマドラーの禁止やリサイクルは、シンボリックな意味しかないと思いますが…
という事で、同時期に持って帰ってきた、同じポリプロのマドラーを2代目として取り出したのでした。
注目のコメント
多くの方にlikeを頂くのはありがたい事ですが、炎上気味の話題の時は少し後味が悪いことがあります。
昨日の川崎の事件に関するあるピックもその一つ。
私には事件で亡くなられたお子様と同年代の子供がいるというのもそうですが、近親者を自死で失い、しかもその現場を目撃したという体験を持ち、その後も同様の亡くなり方をしたお客様もいたことから、恐らく自死については人よりセンシティブな感情を持っていると思います。
思い返せば彼らは皆、本当に真面目で、優しい人たちでした。
しかしそれ故に人よりも悩み、苦しみ、しかし人様には迷惑は掛けたくないというその優しさ故に自らの手でその命を絶ちました。
そんな彼らを、あろうことかスクールバスを襲い、自らを守るすべもない罪もない子供を巻き沿いにした卑劣で許しがたい殺戮者と、同じ自殺者というだけで真逆の行為を同一視する論調に、激しい怒りと憤りを覚えたのも事実です。
その思いは今も変わりはしませんが、今朝炎上気味のコメント欄を見返すに、やはりアルゴリズムにより優先ピックされるPro picker の1人として、感情が入りすぎたコメントは控えるべきだったのだろうと反省をしています。
やはり、同じトップコメントを頂くにしても、明るい楽しい話題で、ありたいものですからね。
【今日の歴史】
1913年の今日ロンドン条約が結ばれオスマントルコとバルカン諸国による第一バルカン戦争が終結。
トルコはヨーロッパ側の領土の大半を失う事となった。
しかしこの時ブルガリアが過度に領土を取りすぎた事でバルカン同盟は仲間割れし、第二次バルカン戦争が勃発することになった。
(追記)
斎藤様、Tanaka様、川原様、Yumi様、aki H様、その他多数のいいね、コメントを寄せていただいた皆様。
私の拙筆、駄文に本当に暖かいコメントを頂きありがとうございました。
今回は私にとっても色々考え、学ぶべきことの多いことでありました。
今後も至らぬコメントが多々あろうかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
(追追記)
そうそう言い忘れました。
キャシーさんお誕生日おめでとうございます、おはようございます。
今日から長男は1泊2日の林間学校です。
母と子で朝からバタバタやってます。
彼はどんな思い出を作ってくるのだろうか。
ひと皮向けて帰ってくることを期待。
キャシーさん、お誕生日おめでとうございます^_^〔追々〕
キャシーさんおめでとうございます。100共感まで残1時間半あと9人、伸びろ〜
Y.Tetsuyaさんの書いてる社内にいる同姓同名の人(漢字も同一)との初対面飲み会、自分もやったことあります!その時は事前に「好きな食べ物」とか「前職」とか「子供のころつけられたあだ名」みたいな設問を書いた質問票を送って、互いの回答票をツマミに飲みましたw
「ここは割と共通」「え、ここはこういう違いになるのか」みたいな感じでけっこう盛り上がります。
そのときはサシ飲みで、お互い「田中さんは…」と呼び合っても実際のところ問題なかったのですが、一人でも第三者がいると確かに難題ですねw でも同姓同名飲みは面白いですよ~。
河出書房が柞刈湯葉作のSF短編「まず牛を球とします。」を5/31までWeb上で無料公開しています。
http://web.kawade.co.jp/bunko/2649/
久しぶりにSFらしいSF読んだ気が。牛肉が球形に培養され生産されてる未来の設定なのが冒頭わかるのですが、淡々とした語り口に乗って徐々に世界観が明らかになるにつれ「え、え、何?」と目くるめく展開に。経済や社会通念の変容をも視界にとらえた良作。短時間で読めます。
〔追記〕
斎藤陽さんの勇気ある丹念なコメントを読みました。
私は件の記事に関して大山さんとは立場を異にした異論のコメントをしていますし、また、件の記事には【加害者から社会への責任転嫁】の意図を含む記述は実際には書いてないように見受けられることにも、注意を促したいと思っております。
しかしそうした見解の相違を踏まえてもなお、PROだからといって感情を載せたコメントを控えるべき、という考えはしなくて良いのでは?と感じています。
大山さんが本稿で説明されたような、今回のコメントに至った背景は誰しもが背筋を正される思いのするものですし、たとえ見解が異なる相手が読んだとしても学びを与えるものです(自分がそうなので)。そのような効果は、感情を排したコメントには求め得ないものかと思います。
もっとも、大山さんは「間違った行為をした」ではなく「後味が悪い」とおっしゃっていますので、この場は自分の異論がその後味の悪さの一因になっている可能性にひとえに恐縮すべき場なのかもしれません。場違いわきまえなしのコメント、何卒ご寛恕くだされば幸いです。