10. 2000万ドルを横領した元社長
スターキー・ヒヤリング・テクノロジーズは以前から、財団の資金調達のため、毎年夏にA級セレブを集めて豪華なパーティーを開催することでミネアポリスでは有名だった。
だが2016年9月21日、ミネソタ州の連邦検事アンドルー・ルーガーが発表した起訴状によって、同社の知名度はさらに上がった。社長のジェローム・ルジカ、CFOのスコット・ネルソンを含む5人が共謀して、会社とそのオーナーから2000万ドル以上を横領した容疑で告発されたのだ。
ルジカ、およびスターキーの供給元企業の元社長W・ジェフ・テイラーは、それぞれ懲役7年と懲役1年6カ月の有罪判決を受けた。捜査に協力したネルソンは懲役2年の判決だった。ルジカとテイラーは控訴する見込みだ。
ウィリアム・オースティンは、親しかった友人たちにカネを盗まれたことよりも、時間が無駄になったことに大きな怒りを感じているようだ。
期待したペースでイノベーションが実現していないことに疑問を感じるときもあったが、経営を任せた仲間を信用して、自らは年に200日以上、財団の仕事で各地へ足を運んでいた。
今から思えば、兆候は確かにあった。
「いろいろなことが、なかなか実現しなかった」と、オースティンは話す。「私が『やれるじゃないか』と言うと、『今は無理です。ソフトウェア面の課題が多すぎます』とか『1年はかかります』と言われた。だから、そういうものなんだろうと判断した」
11. 内部調査を進めた末に
2015年7月、オースティンはあることを耳にした。ルジカが社員に、自分は来年スターキーを辞めて新しい補聴器メーカーを設立する、一緒にやらないかと誘いをかけているという。
「そんなはずがない、と思っただけだった」。オースティンはそう振り返る。
オースティンは電子メールを使わず、コンピューターの使い方も知らないが、信頼できる数人の従業員に頼んで、ルジカの社用メールの内容を見てもらった。このひそかな内部調査で、さらなる不正が明るみに出ることになる。
ルジカは社員を引き抜いてスターキーと競合する企業を立ち上げようとしていただけでなく、横領をしている形跡があった。「糸を引っ張ったらどんどんほどけて、想像もしなかったことが次々に判明した感じだった」
その1つが、保険料の支払いに見せかけた賞与支出だ。オースティンが認めていない支出──小規模で収益性が低い小売部門の責任者に200万ドルが支払われたケースもあった──の証拠も見つかり、社用車も盗まれていた。
9月8日までには、もう十分な材料がそろっていた。オースティンはルジカを呼び出した。その際の音声記録が存在する。オースティンがひそかに録音し、裁判で再生されたものだ。
「ジェリー、時間をかけてきみのことを調査してきた」。オースティンはそう発言している。「全部、なかったことにしようともしたが……あれは褒められた行動じゃないな」
同じ日、オースティンはルジカと再び会って夕食をともにした。その席で、自社の社長を長年務めてきた人物をじっと見て、いくら横領したのかと質問した。
「ジェリーは首をすくめて、『1000万ドルぐらいだ』と言いました」と、オースティンは裁判で証言している。実際には、その額は1900万ドル近くに達していた。
12. 人格攻撃にさらされた裁判
オースティンはルジカとネルソン、および数人の幹部を解雇し、当局に捜査を任せることにした。
「それ以上、自分では調査できなかった。銀行記録を入手するのは不可能だった。だからFBIに届け出て、事件のことは忘れて仕事に戻った」
恨んではいないと、彼は語る。ルジカのことは気の毒に思うが、会社にとってはいいことだった。「あの一件の結果、軌道修正のために多くの変化を迫られた。今、到達しつつあるレベルを実現するのに必要な人材を新たに雇い入れた。起きたことに不平を言う気はない」
裁判での不快な体験にも、怒りは感じていないという。「私は公職に立候補しているわけでも、聖人に認定されたいわけでもない。好きなことを言わせておけばいい。刑務所行きを免れるために、彼らがどんなことでもしなければならないのはわかっていた。私だって同じことをしただろう」
2018年2月9日から3日間、オースティンは法廷で証言台に立った。複雑で、往々にして退屈な詐欺事件の詳細を明らかにしようとする検察側に協力する形で、証言をする場面が多かった。だが被告側の反対尋問になると、状況は一変した。
被告側弁護団はオースティンの人格を攻撃した。テキサスを居住地にしているのは税逃れが目的だと主張し、1988年に2人目の妻と6600万ドルで離婚調停を成立させた一件を持ち出した。
13. 大天使ミカエルの訪れを巡って
聴覚訓練士の間で「リッケム・アンド・スティッケム(なめて、突っ込む)」と呼ばれる慣行、すなわち補聴器が耳に入りやすいように唾液で濡らしてから差し込む行為についても質問された。
顧客を相手にした場合を含めて、あなたはしょっちゅうそうしているのではないかと、被告側の弁護士の1人はほのめかした。
「習慣的にやっていることではありません」と、オースティンは答えた。
「どんな場合であっても、そんなことはするのは異様ですよね?」
「あなたには、あなたなりの意見があって当然でしょう」
別の弁護士は、2011年にメキシコ中部トルーカで大天使ミカエルが自分に憑依して少年に話しかけたと、あるインタビューで発言したのは本当かと尋ねた。
「そんな発言はしていません」。オースティンは落ち着いてそう返答した。
ずっと前から宗教的なビジョンを経験し、祈りへの応えとして啓示を受けてきたと語ることを、オースティンはためらわない。一例が1980年に得たという啓示だ。
「大切なのは補聴器ではないと告げられました」と、彼は法廷で語った。「人間に対する(神の)愛を示すことが重要であり、私にとって補聴器はそのための道具なのだ、と」
14. 現社長が問われた資質
被告側の反対尋問では、ブランドン・サワリッチのことも大きな焦点になった。その一部は「下ネタ」絡みで、なかでもサワリッチが複数の部下と情事を持っていたという元CFOのネルソンの主張が大きく取り上げられた(サワリッチ本人は事実ではないと否定する)。
とはいえ、サワリッチに対する中傷の大半は、スターキー社長としての資質をめぐるものだった。彼自身は被害者でも被告でもない詐欺事件の裁判で、こんな尋問が行われたとはじつに奇妙だ。
「社長に任命されたのは彼が義理の息子、(オースティンの)妻の息子だからだ。そうではないですか?」と、弁護士は言った。
「はい、そうだと思います」と、ネルソンは答えた。
この点について質問すると、サワリッチはいら立った様子を見せた。「この仕事はできる人にはできるし、できない人にはできない。スターキーはビルにとって大切な存在です。行き当たりばったりに任せたりはしません」
オースティンにしてみれば、これは必要に迫られてのことだった。義理の息子を社長にする計画はなかったが、突発的な事態のせいでそうせざるを得なくなったのだ。
「ブランドンは思ったよりずっと優秀だ。天才気質ではなく、チームをまとめ上げて物事をうまく運ぶには、さまざまな人材が必要だと理解する能力があることを高く評価している……ジェリーは独裁者的な社長で、何でも報告させていた」
それに対してサワリッチは「ただチームを調整する。(スポーツチームの)監督のようなものだ」という。
15. 自律知能システム専門家を雇用
社長としてのサワリッチのこれまでの最大の功績は、最高技術責任者にアチン・ボーミックを雇い入れたことだという点で、スターキー社内の意見は一致しているようだ。
ボーミックはシリコンバレーの出身で、前職はインテルの知覚コンピューティング・グループの統括責任者。エンジニア1400人で構成される同グループは、自律ロボットや自律飛行ドローン、顔認証カメラなどに用いられる自律知能システムを専門とすることで評判が高い。
スターキーから誘いを受けた際、ボーミックはミネアポリスを訪れ、1日かけて同社の人々と面談することにした。その日の最初のミーティングの最中、オースティンが突然、部屋に入ってきて彼と話を始めた。2人の会話は何時間も終わらなかった。
「ミスター・オースティンは『あなたがやっていること、知能コンピューティングについて調べてみた。とても興味深い』と言いました」と、ボーミックは振り返る。「そうした先端テクノロジーを人助けに活用するチャンスがあるかもしれないことに気づいているか、と」
ボーミックはAIについて、そんなふうには考えたことがなかった。インテルで取り組んでいたのは、人間というシステムの研究だ。そのシステムをたとえば自動車で再現して、人間が運転するように自律運転する車を開発することが目的だった。
「インテルはそのために巨額を費やしているが、ミスター・オースティンの見方はまったく異なっていた」と、ボーミックは話す。「スマートマシンを作るためではなく、人々が世界をよりよく理解する手助けをするために、センサーやAIを使ったらどうかと考えていました」
16. よりよく生きるためのデバイスを
ミネアポリスを再訪した際、今度はサワリッチの自宅の地下室でピザを囲みながら、ボーミックはオースティンと再び話し込んだ。
そのときには、オースティンから「この仕事は2つの角度から捉えて」ほしいと言われたという。
1つ目は、「単なる補聴器にすぎないと考えないこと。これは1つのプラットフォーム、人間同士のコミュニケーションの向上に貢献しうるデバイスだ」。それこそ、スターキーの新製品が備える翻訳機能に秘められた意味だ。この機能があれば、人々は言語の壁を超えて互いに話をすることができる。
「2つ目は、よりよく生きるための力になるということでした」と、ボーミックは語る。「最先端のセンサー技術やAIを活用して、よりよく聞こえるようにするだけでなく、よりよい生活をするための手助けをするデバイスを実現できるか。それが彼の問いだった。答えは『もちろん』。耳はセンサーを装着するのに最適の部位です」
ボーミックはこの数カ月間、聴覚にまったく問題がないにもかかわらず、両耳に「リヴィオAI」を着けている。おかげで、ちょっとした超人気分だという。「あらゆる音をボリュームアップできる。とてもクールな体験です」
この日は、聴覚訓練士らを迎えた新製品発表の当日だ。ボーミックはプレゼンテーションの準備があるからと言って、姿を消した。
20分後、彼はステージの横で待機していた。壇上では「前座」のサワリッチが、白人男性が多くを占める大勢の聴衆を前に熱弁を振るっている。
サワリッチは聴衆の数人の名前を挙げ、呼び掛けた。「今日は家族の集いのようなものです」。あそこにいる「スコット」も、ここにいる「ボブ」も「この場のすべての方がいわば私の育ての親です!」。
17.「リヴィオAI」の4つのポイント
スターキーは「新しく、よりよく、より強くなりました」と、サワリッチは語る。再び原稿どおりにスピーチしている。
「みなさんはいつでも、いいときも悪いときも、ずっとスターキーとともにいてくださいました。私たちはこれからロケットで飛び立ちます。どんなシートでも気にしないで。とにかく乗ってください」
拍手が巻き起こり、歓声も上がる。さあ、ボーミックの出番だ。
ボーミックは基本的な説明を始める。人工知能や最先端のセンサーのこと、新製品「リヴィオAI(Livio AI)」のバッテリー駆動時間は45時間だということ。そして、この補聴器はあまりに軽くて小さいため、着けていることを忘れるほどだ、と。
だが、そんなのはまだ序の口だ。
「第2のポイント。これは画期的なウェアラブル製品です」。そう、身体や脳の健康状態をトラッキングできるのだ。
「第3のポイント。これは耳装着型のものすごい翻訳機です」。ボーミックは間を置き、聴衆のささやきに応える。「そう、信じられますか? SFの世界のような話です!」
「第4のポイント。これは革命的な耳装着型の転倒検知・警告デバイスです」
18. 20年前に予告した未来の到来
これらの機能の1つだけでも、十分に魅力的だ。健康トラッキングは大人気の分野だし、「もっとワインを飲みたい」をフランス語でどう言うか、耳元で教えてもらえるなんてぞくぞくする。
全米高齢者問題協議会によれば、転倒が理由で緊急治療室に運び込まれる高齢者の数は11秒に1人。そのうち2人に1人は転倒事故後、1年以内に死亡するという。
「この製品が持つ価値を、患者の方々に売り込んでいただけるでしょうか」
会場が興奮したようにざわめいた。聴覚訓練士らは翌日、地元へ戻る予定だ。彼らはさっそく、リヴィオAIの売り込みを始めてくれるだろう。
しかも、見通しは明るい。わずか4カ月後までに、リヴィオAIはスターキーの全世界での製品売上のうち50%を占める見込み。2019年全体では、その割合は80%に拡大すると予想されている。
おかげで、すでに高収益企業であるスターキーの売上高はさらに大きく膨らむだろう。同時に、スターキーの創業者の「ビジョン」のすべてが奇矯なものとは限らない、と証明することにもなるはずだ。
オースティンはコントロールルームから、ボーミックのプレゼンテーションを見守っていた。その場で語られているのは、1998年に彼自身がドイツで開かれたエンジニアサミットで語ってみせたことと同じだという。
「これこそが私たちの未来です」。当時、彼はそう告げた。それから20年後、ほんのいくつかの障害と元社長らによる乗っ取り未遂事件を経た後で、彼が描いた未来はようやく到来した。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Josh Dean記者、翻訳:服部真琴、写真:©2019 Bloomberg L.P)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.