ハーバード大学で絶大な人気を誇る東洋思想の講座がある。教壇に立つのは、マイケル・ピュエット教授。カレッジ教授賞の受賞歴を持つ彼が学生に求めるのは、授業を通じて、ただ古代哲学者の思想と格闘するだけではなく、自分自身や自分の生きる世界について根本的な前提を問い直してみることだ。

本連載では、ピュエット教授のエッセンスを書籍化した『ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』から、その一部を紹介する。

【ハーバードの東洋哲学】わたしたちは本当に自由を手に入れたのか

人生の計画を練っても挫折する

人生における新しいきっかけをつかむために、なにかを計画中だとしよう。
きみは、大望をいだく大学院生で社会人の仲間入りを目指しているかもしれないし、プライベートでも仕事のうえでも中年の危機の真っただ中にいるかもしれない。
あるいは、今の恋人との結婚に踏みきるべきかどうか迷っているかもしれないし、夫婦ともども子どもが欲しいと思っているけれど、二人ともきつい仕事をつづけながらうまくやれるか自信がもてないでいるかもしれない。
つぎに、いよいよ計画に着手したものの、挫折につぐ挫折を味わうはめになったとする。
何十通も履歴書を送ったのに、すべて無駄に終わる。恋人がやっぱりきみとは結婚しないと決め、ふられてしまう。生まれた赤ん坊が重い病気だとわかり、つきっきりで世話をすることになる。あんなに計画を練ったのに予期せぬ結果に直面し、くじけそうになる。
中国の思想家のなかにも、人生でこれと驚くほどよく似た経験をした人がいる。
紀元前四世紀後半、中国の戦国時代に生きた孔子学派の一人、孟子は、このような時代こそ、孔子の教えにもとづいた新しい王朝がはじまるのにふさわしいと考えた。すでに高齢の域に達していたが、諸国をめぐって君主に教えを説きつつ、自分を顧問として登用し、学説を聞き入れ、それを実践に移すよう働きかけた。
長年ののち、斉(せい)国の王が孟子を卿(大臣)に登用し、何度も引見した。孟子が生涯を捧げてきたことがすべて実を結ぶかに見えた。優れた王の後ろ楯となり、新しい平和な時代の到来を告げる王を補佐した思想家となるはずだった。

世界は秩序正しく、公正なのか

ところが、やがて斉の王は孟子の教えから学ぶことに関心などないことが明らかになった。
孟子が出兵をそそのかしたように見せかけて王が隣国に攻め込んだとき、孟子は斉での自分の役目が終わったことを失望とともに悟った。王は自分の侵略行為が正義であるかのように見せかけるために孟子を利用しただけで、孟子のことばに耳を貸す気はなかったのだ。
高齢の孟子にとってほかの地へ移るにはもう遅すぎた。この先ふさわしい君主に仕官するのは無理だろう。孟子は斉を離れ、故郷へもどった。
孟子はあまりにも人間的なジレンマに直面した。残念でならない挫折のせいで入念に練りあげた計画がだいなしになった。孟子は自分の運命をののしった。天を責めた。
しかし、この経験は孟子の哲学をおおいに決定づけた。孟子に言わせれば、わたしたちが慎重に人生の計画を練るとき真実だと信じているものそれ自体が、皮肉にもわたしたちをしばるものでもある。
いかに生きいかに決断するかは、結局、自分の生きている場所が条理のある安定した世界だと考えるか、それとも孟子が説いたとおり、当てにできない転変きわまりない世界だと考えるかということだ。
とはいえ、世界は秩序正しく公正であり、綿密に人生の計画を立てることが成功を手にする鍵だという考えを放棄して、どうしてよい人生を送れるだろう。転変する世界に生きているなら、どうやって計画を立て、決断をくだすというのだろう。

同時代の思想家、墨子の〈天〉

わたしたちは将来の計画を立てるとき、未来は予測できると思い込みがちだ。
もちろん、人生は一八〇度変わることがあるとか、たしかなものなどなにもないという意見にも口先でなら賛同する。それでもなお、ものごとが予期したとおりにならないと、不意をつかれて驚くことも多い。
というのも、わたしたちは人生を送るにあたって、世界は条理あるもので、そこには当てにできる安定した要素がなにかしらあると考えがちで、その思い込みが決断に影響をおよぼすからだ。
孟子と同時代の思想家である墨子は、そのような世界観をもっていた。庶民に生まれ、自力で出世した人で、やがて結束の固い教団を組織した。墨子の思想書には、せっせと働く者が成功する公正な社会の構想が述べられている。
墨子は、社会が人の繁栄を実現できていないという孔子学派の考えを共有していた。倫理的によりよい人間になるよう人々に働きかけるべきだと墨子も考えていた。
しかし孔子学派と違い、墨子と門人たち(墨家)は儀礼がよい人間になるのに役立つ手段だとは考えなかった。それどころか、儀礼は型にはまった無意味なもので、本当に重要なことに関心を向けるのを妨げる時間の無駄でしかないとして退けた。
そして、本当に重要なのは、この場合、〈天〉、すなわち、世界を創造したと信じられていた神性を真摯に信仰することだと考えた。
墨子と門人たちにとって、天は上帝であり、善悪の明確な道徳基準を定める存在だった。人間は善良な生活を送るためにその基準に従わなければならない。基準に従えば報われるし、従わなければ罰(ばち)が当たる。
孟子は、当時の人々が基準に従っておらず、それが不道徳や社会の退廃や政治の混乱をまねいていると考えた。墨家は天の道徳律にのっとった社会の再建を思い描いた。

墨子が「兼愛」と呼んだ世界

墨子は、ある種の公正な道徳律が宇宙を下から支えていると信じるように教え込めば、人々を倫理的にふるまわせることができ、その結果よりよい社会になると考えた。
真摯な信仰の重視といい、儀礼への不信といい、善なる神性が創造した条理ある予測可能な世界への信念といい、墨家は多くの点で初期プロテスタントとかなり似ている。
プロテスタントの思想は、近代世界の今、人々が当たり前のことと受け止めていることがらの大部分を形づくってきた。今も神を信じているとしても、もう信じていないとしても、わたしたちはまだ同じ基本的な枠組みを信じている。安定した世界に生きる安定した自己だ。
合理的な選択をする主体として行動し、なにが自分の利益になり、なにが害になるかを計算する。心をのぞき込み、本当の自分を発見し、どうすれば繁栄できるか計画を立て、その計画を実現するために勤勉に働けば、当然のように繁栄と成長がもたらされる。端的にいえば、わたしたちは墨家だ。
さらに、孔子学派の考えでは、〈仁〉、すなわち人間の善性は一般論として説明できるものではなく、その時々で自分がいる状況に応じて異なる解釈をするものだったが、墨子の解釈はきわめてはっきりしている。善とは、なんであれもっとも多くの人のためになるものと決まっていた。
特別に親しい相手でも、その人についてどう感じるかは問題にすべきではない。愛には段階などあってはならないからだ。むしろ、男も女もすべての人を平等にいつくしむよう努力すべきだという。
四世紀のち、同じようにイエスも隣人を愛し、敵を愛し、右の頬を打たれたら左の頬もさし出す美徳を説教した。そして今日のわたしたちは、慈善事業に寄付し、ボランティアにいそしみ、不運な人の面倒をみるようたきつけられる。
とはいえ、もちろん墨子は、人が生まれつき倫理的にふるまうことはなく、感情や私欲が妨げになることを理解していた。社会は人々の正しいおこないをあと押しするよう組織すべきだと考えた。
あと押しする仕組みには、なすべきことをしたときの賞(成功、金銭、名声)と、しなかったときの罰(失敗、降格、罰金)があった。
善悪の判断がはっきりつく世界──勤勉が報われ、悪行が罰せられる世界──に生きていると信じられれば、人々はさもしい感情に従うのを思いとどまり、よい人間になろうと努力するはずだ。墨子は、正しい制度が整いさえすれば、その結果、だれもが恩恵を受ける社会になると確信していた。墨子が「兼愛」と呼んだ世界だ。
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孟子はこのすべてにおいて墨子に猛烈に反対した。一見したところ、孟子の姿勢は腑に落ちないかもしれない。勤勉が繁栄をもたらし、信頼できる善悪の基準があり、すべての人が平等にいつくしまれる公正な世界のどこに異論の余地があるだろう。
しかし、孟子はまったく異なる世界観をもっていた。源流は孔子の思想だ。
孟子は世界を転変するものととらえた。勤勉がかならず繁栄につながるとはかぎらないし、悪行がかならず罰せられるともかぎらない。どんなものにもなんの保証もない。世界には、当てにできるような包括的で安定した条理などない。
それどころか、世界は切れぎれで、どこまでも無秩序で、たえまない修繕が必要だと孟子は考えた。安定したものなどなにもないと認識してはじめて、決断をくだすことができ、もっとも広がりのある人生を送ることができる。
なんとも不安になる話だし、孟子でさえ受け入れるのに苦労したらしい。
じつは、孟子はその人生や人となりがもっともよくわかっている思想家だ。死後に弟子たちがその教えをまとめた『孟子』は、孟子をいかにも人間的に描いた克明な物語や対話や逸話に富んでいる。
書かれていることにこれほど説得力があるのはそのためだ。誤りを犯しがちで、あらんかぎりの複雑さを備えた人間であるとはどういうことなのかを伝えている。
孟子は穏やかなブッダでもなければ、無私無欲のイエスでもない。泰然自若とした温和な賢人どころか、才気にあふれ、機知に富み、頑固で、傲慢で、複雑な人物──仁を会得しようともがき、ときどき自身の哲学にふさわしい行動をしそこねる男という印象を与える。

利己的な利益追求者が生まれる

世界はたえず人間の行為によって一つにまとめられているというこの世界観から、孟子は墨子の思想がきわめて危険だと気づいた。墨子の思想が社会的な調和と兼愛の世界をもたらすことはない。
それどころか、パブロフの犬のような世界をまねき、賞を得て罰を避けるために必要な行動をとるように人々を条件づけることになる。人々が純粋に自己の利益──「どうやって欲しいものを手に入れようか?」──だけをものさしにして自分の言動を考えるように訓練された世界だ。
孟子は、条理ある賞罰の仕組みなど存在しないと思わないかぎり、倫理にかなう人間にはなれないと考えた。もし存在すると信じれば、よりよい人間になる努力をしなくなるだろう。むしろ、自分が利益を得るために行動するはずだ。
いかにして兼愛の完璧な世界を築くかという墨子の壮大な社会の構想は、皮肉にも、利己的な利益追求者ばかりの世界をまねくことになる。
孟子は、計算的なやり方で人間の行動を方向づけようとすれば、知的思考を感情面と分離することになってしまうと危惧した。現実的に考えて、どうして他人の子を自分の子と同じだけ愛せるだろう?
もちろん、方程式から感情をはずすのは、まさしく墨子のいわんとするところだ。理性のおかげで、思いつきや願望に左右されることなく、なにが善でなにが善でないかを合理的に判断できる。
しかし、孟子の考えでは、善良な人をほかの人たちから際立たせているのは、感情をなおざりにしていない点だ。むしろ、感情的な反応を手放さず、根気強く修養している。なにが正しいおこないか──正しい決断か──をどんな状況でも見きわめられるのはそのおかげだ。
墨子と孟子のこのような思想の違いは、世界に条理があると見る者と、世界は転変すると見る者の違いをあらわしている。
一方にあるのは、すべてに当てはまる法則を信じることで自分の言動が方向づけられる世界だ。もう一方にあるのは、けっして当てにできない世界、ささいな言動を通じて自己や人間関係をつちかうことで、たえず新たに築きあげる世界だ。
※ 次回は日曜日掲載予定です。
(バナーデザイン:大橋智子、写真:DenisTangneyJr/iStock)
本記事は『ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』(マイケル・ピュエット&クリスティーン・グロス=ロー〔著〕、熊谷 淳子〔訳〕、早川書房)の転載である。