【梅崎司】個人は組織の中で、何を大事にすれば輝けるか

2019/5/14
31歳を迎えた昨季、「復活」を果たして注目を浴びたJリーガーがいる。
湘南ベルマーレのMF梅崎司だ。
10シーズンをすごした浦和レッズでの最後の数シーズンは思うように出場機会を得られなかったものの、湘南に移った昨年はルヴァンカップ(リーグカップ)初優勝に貢献するなど、再びハイパフォーマンスを維持できる状態に上げてきた。
ベテランと言われる年齢になった梅崎はなぜ、かつて以上の輝きを放っているのか。
その背景にあるのが、「上司と部下」、そして「組織と個人」の幸福な関係だ。両者が相乗効果を発揮しなければ結果が出ないという点で、サッカーの組織づくりはビジネスにも多くのヒントがある。
「一人でやれることには限界があります。みんなでやれてこそ自分が生きるし、みんなに生かされます」
自身の殻を破ろうとベルマーレに移籍し、ピッチで輝きを放つ梅崎が、活躍の要因と壮大な野望を語る。

勝負できる場所を見つけた

──サッカー選手にとって移籍はキャリアを大きく左右する決断です。2017年の営業収益で浦和はトップの79.71億円、当時J2の湘南は15.66億円と大きな差があるなか、どういう基準で選んだのですか。
梅崎 レッズで10年プレーさせてもらい、もちろんクラブとしての価値、そこに主力として関わる価値をすごく感じていました。
でも年々、自分らしくやれていないって感じていたところもあって。それでも生き残るために、お金を稼ぐために、家族を守るためにという思いもありました。
その中でうまく生きてきて、自分が変化してこられたと思うけど、その葛藤はずっとありましたね。30歳をすぎて、このまま僕はこのチームにいたら、フェードアウトしちゃうという感覚があったんです。
一つの生き方として、同じクラブであと数年プレーして、引退後は選手とは違う形で(指導者やスタッフとしてクラブに)入ることもできると思います。将来のことを考えたら、それも一つの手だと思うこともありました。
梅崎司(うめさき・つかさ)プロサッカー選手。1987年長崎県生まれ。2005年大分トリニータのトップチームに昇格。2006年日本代表に初選出された。フランスのグルノーブルを経て2008年浦和レッズに移籍。2018年から湘南ベルマーレでプレー
でも、それでは自分らしくないというか、やっぱりトライしたい。純粋に、もっとサッカーを楽しみたい。躍動したいという思いが一番にありました。
その中でベルマーレからオファーがあって、監督の曺さん(曺貴裁)と話したら、自分の抱えているものを全部先に読まれたんです。それで、「ここだ。ここなら勝負できる場所があるんじゃないか」って純粋に感じました。
──監督との出会いが決断を後押しした、と?
そうですね。去年ベルマーレに来たときに僕はケガ上がりで、3月くらいから練習に合流しました。
1カ月くらい経って曺さんにコーチングスタッフの部屋に呼ばれて行くと、2007年のワールドユース(U-20W杯)のベスト16でチェコに負けたシーンの映像が用意されていて、見ると僕が泣いていました。
すると、曺さんに言われたんです。
「お前、これだけ今も泣けるか? レッズでリーグ優勝やACL(アジア・チャンピオンズリーグ)をとったかもしれないけど、今、心底泣けるくらいの気持ちでプレーしているか?」
「ワールドユースのときはお前が先頭に立って、自分のプレーでチームを勝たせるっていう気持ちが表れていた。でも、今は周りに気を使いすぎだ」
5月4日の名古屋戦で途中交代した梅崎(右)をねぎらう曺貴裁監督(写真:森田直樹/アフロスポーツ)
ワールドユースは、僕がプロ3年目の頃です。曺さんはそれ以前、僕が高校生だったときから見てくれていて、その話をしてもらったこともあります。
でも、当時の僕としてはレッズで生き残るために、気を使わざるを得ない状況でした。そのことも、曺さんは見抜いていたと思います。

人は夢中になって成長する

──レッズ時代に「気を使わざるを得ない」というのは、自分より上の能力の選手たちがいて、彼らに合わせざるを得なかったということですか?
そういう部分もありますし、自分の立場もありました。
レッズ時代で自分が一番いいときって、「自分がゴールを決めてやる」とか、「自分のプレーでチームを勝たせるんだ」って思っていて、そういうときにはすごくいい感覚を得られるし、結果を出してきた自負もあります。
でも、それが長続きしなかった。レッズにはいい選手がそろっているので、ちょっと下手なプレーをすると、メンバーがすぐに入れ替わります。
──大分トリニータ時代は攻撃陣の中心だったところから、レッズでは熾烈(しれつ)な競争に置かれたわけですね。
そうですね。レッズではだんだん器用になってきたというか、いろんな役割をこなせるようになり、どんなシチュエーションでも戦える選手になっていきました。
そういうのは自分自身が求めたところでもあります。人やチームの条件に合わせることを覚えて、プレーの幅を広げました。
それはチームに必要なことだと思います。全員がスタープレーヤーでは、いいチームなんてできるわけがありません。
それに安定したプレーをできないと、試合に出られないですからね。そういう状況の中で、自分で仕掛けたいという思考が強くなっていったと思います。
──サッカーでは組織の中で自分の良さを出さないといけない一方、チームに合わせないといけない部分もある。現在、そのバランスをどう考えていますか。
曺さんがよく言うんです。
「チームのためを思って、自分を消したら意味がない。それぞれの良さを夢中になって出してこそ、チームのためになるし、みんなのためになる。そうじゃないと、選手自身の人生の意味がない。夢中になって躍動して、楽しむ姿こそ、みんなにとって本質だ。もちろん勝った、負けたもあるけど、夢中になることが人間として一番の成長だ」
その言葉が日々、僕にはすごく響いています。