若いうちに失敗することの意味

 誰もが憧れる「永遠の成功」は、果たして有り得るのだろうか。だいたいの道はこうだ。まず、夢が破れる。続いて、地味な仕事から再開する。もう一度挑戦する。成功まで挑戦し続け、最後にやっと、苦しい過程を笑い合える。
 勝利だけを経験したい人にとって、この筋書きは味気ないものだろう。しかし、失敗から得るマインドセットは人生の糧となり、大きな勝利へと導いてくれるという。
 もし成功が「満足のいく仕事と達成感を得て、意味のある人生を送ること」であるならば、苦労して障害を乗り越えることで、困難があっても粘る強さを持ち、今あるものに感謝することができるようになる。
 そう述べるのは、ニューヨークタイムズ・マガジンの記事、『アメリカのエリート──豊かで成功した、みじめな人たち(America’s Professional Elite: Wealthy, Successful, and Miserable)』を示したチャールズ・ドゥーヒグだ。
 彼の記事のポイントは、何かに振り回されると、それに対処する力がつくということだ。ドゥーヒグ自身、若い頃から活躍した訳ではなく、納得できる仕事にも就けなかったが、「失敗した」人たちは、方向性や意味を探し回らなければならないと言う。
 しかし、そんな人たちが自分の道を見つけたら、その頃には困難に立ち向かい、自分の希望を見直す習慣が身についてるというのだ。

就職に失敗したからこそ

 これに対して早いうちに成功した人は、後になって、すべてが上手くいくわけではないと知ることになる。困難に対処する練習がほとんどできていないままに知る挫折は、彼らにとっては辛い経験だろう。
 ドゥーヒグの主張は、彼自身の経験が前提となっている。ハーバード・ビジネススクール(HBS)を卒業したとき、彼は希望していた金融関係の仕事には就けず、ジャーナリズムの世界で働くことになった。この環境によって、本来の目標以外のところに目を向けることになったのだ。彼は無念さに耐え、この経験について次のように書いた。
 「同級生の中には、HBSの卒業生がファイナンスやシリコンバレーの仕事に就かないのは、大きな間違いだと考える人がいた。しかしその結果、金儲けだけのために仕事をする誘惑から逃れることができた。私はそれ以来、あのときの運の悪さのおかげで愛する仕事を選びやすくなり、とても感謝している」
 彼は同じ経験をした他の同級生たちについても、「何とか仕事を見つけることを強いられ」、卒業後はその挫折に打ち勝とうとし、最終的には「他の人たちよりも成功したようだ」と記事中に書いている。

ピューリツァー賞をとっても「失敗」か

 彼の主張は、優秀な人の些細な挫折、に見えるかもしれない。いまやドゥーヒグは、ピューリツァー賞を受賞したジャーナリストだ。彼は「失敗」という青年時代でさえ、彼は実績をあげていた。アイビーリーグの大学院に通うことも、もちろん相当な実績だ。
 ということは、ドゥーヒグが考える成功の定義が厳しすぎるのかもしれない。あるいは、彼はエディス・ツィマーマンがウェブ誌「ザ・カット」の記事で書いた「そこそこの人生を主張する人」の一人なかもしれない。つまり、謙遜して「何とかやっている」と言いながら、実際には懸命に努力して大成功している、敏腕な人物だ。
 ツィマーマンによると、インターネットには、あきらめることの効果や、足ることを知る、人生の喜びなどについて数多くのエッセイが書かれている。しかし、それを書いた人々はみな、実は見事に成功していて、野心に燃えているとツィマーマンは言う。
 しかし周りがどう言おうと成功とは相対的なものだ。HBS卒業生の世界では、ドゥーヒグは「ダメなやつ」だった。かつては「運が悪い」と思えたことの中に、いま彼が幸運を見出しているという事実が、彼の論点を裏付けている。つまり、失敗を恨みがましく思わないことが、次の成功に繋がるのだ。

成功を続けるには、ゆっくり着実に進むこと

 さらによい知らせがある。苦労や困難は積極的に探さなくても、自然にやってくるものだ。そしてそれぞれに立ちふさがる壁を超えて、花を咲かせてきた人はたくさんいる。
 小説家のトマス・ピンチョンは、1984年に『スロー・ラーナー』を出版した。この本は、彼が作家として進化していった過程を明かしたもので、そこには初期の作品が5作掲載されている。この5作は、彼が有名な1963年の小説『V.』を出版する前に書かれたものだ。これらの作品は、「人は最初から素晴らしくなくてもスターになれる」ということを示している。ピンチョンは次のように述べる。
「20年前に自分が書いたものを読み直すことが、どれだけ自尊心を打ち砕くか、あなたもわかるでしょう。昔書いた小説を読み返したとき、私は自分が書いたその文章の未熟さ、つまらなさに打ちのめされた。しかし私の小説が時に愚かで、思慮に欠けるものであっても、欠点をすべてそのまま残せばまだ活用できるのではないかとも思えた」
 そして、ピンチョンは自身の短編小説の一つひとつに関して、その問題を細かく解説していった。彼は自身の言葉の使い方やアイデア、引用、プロセスなどに批判を行った。つまりは、彼はそれぞれの小説がどれだけダメで、なぜ再読してみじめに感じたかを説明した。これは、ゆっくり着実に進めば、過去の自分がしでかした失敗にも勝てるということを改めて示した。ただ、挑戦し続ければいいのだ。

転んだ後、立ち上がる力こそが重要

 遅咲きの人たちはレジリエンス(立ち直る力、弾力性)を身に付ける。ドゥーヒグが言うように、早い段階で挫折すれば譲歩を強いられ、自分の希望を見直すことになる。最も効率的に強くなる方法は、転んでも立ち上がり続け、練習し続け、障害に対処し続けることだ。この柔軟性が長期的な成功には不可欠になる。
「レジリエンスとは挑戦だ」。こう書くのは監査法人のPwCで幹部向けリーダーシップ・プログラムを率いるジェシー・ソストリンだ。レジリエンスは「すべてに影響する」と彼は言う。問題解決の能力から、肉体的・精神的・感情的な健康状態、そしてイノベーションにまで。「レジリエンスは、人生の根本に関わる能力で、仕事やマネジメントやリーダーシップに必要な他の多くの能力に影響を与える」。
 感情的な柔軟性は学んで身に付けるものだと、アナ・ロウリーは言う。ロウリーは、マイクロソフトなどの企業で幹部のカウンセリングを行っている。彼女によると、流動性の高い現代においては、柔軟性が安心感や強さの基盤となるという。これを獲得する唯一の方法は、失敗して再度挑戦することだ。ロウリーは、「幸福」はむしろ邪魔なもので、人生への満足感を得るには、失望や挫折に上手く対処できる人間になることが最善の方法だと言う。

遅咲きの有名人はこんなにも

 偉大な「遅咲きの人」は大勢いる。画家のアンナ・メアリー・ロバートソンは、75歳で絵を描き始め、101歳で亡くなる前に有名な芸術家となった。ケンタッキー・フライド・チキンで有名なカーネル・サンダースは、65歳の時に会社を立ち上げた。アリババ創業者のジャック・マーは、子ども時代は出来の悪い生徒で、ハーバード大学を10回落ちたことで知られ、どうしても仕事を見つけられなかったが、その後ビジネス界の巨人となった。
 彼らはみな、初めから成功し挑戦をやめたわけではない。誰も成功を予想しなかったが、何度も挑戦し続けたことによって天職にたどりついたのだ。
 成功したのちに振り返ってみると、遅咲きの人たちは常に必要なことをしていた。彼らは時間をかけ続けたのだ。
 私たちは過去を振り返りながら人生の良し悪しを語る。ということは、「いま」の良し悪しは、未来になってからでないとわからないということだ。いまいる場所からは、起こっていることは理解できない。若い頃につまずいた幸運な人は、この大切なポイントを早いうちに理解する。だからこそ、長い期間をかけて満足のいく人生を目指すことができるようになるのだ。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Ephrat Livni、翻訳:東方雅美、写真:izusek/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with JEEP.