自作映画のロケ地・高知県に電撃的に恋に落ち、「ここから革命を起こす」と謎の決意をして移住した。
街中にミニシアターを誕生させたり、県民を集めて文化塾を始めたりと、映画監督の枠を大きくはみ出て大忙しだ。目指すは「ピンク革命」という。地方の典型・高知から、一体何が始まるのだろう。
(文:浜田奈美、写真:門間新弥)

本記事は2018年7月16日発売のAERAに掲載されたものです。
「よおお〜い、スタートッ!」
 高知市内の幼稚園に、映画監督・安藤桃子(36)の声がとどろいた。その声に、それまで自由に遊んでいた園児たちが一斉に「演技」を始めた。
「カーット! はいオッケーです!」
 今年1月、桃子は短編映画「アエイオウ」を高知で撮っていた。幼稚園での撮影は、その前日に変更が発生し、急遽、決まった現場だ。
「『明日撮影お願いします』でオッケーしてもらえるなんて、東京ではあり得ないこと。高知だと、動きがとんでもなく速いんです」
 安藤桃子はいま高知県に暮らしている。前作「0.5ミリ」を高知で撮影した縁で、雷に打たれたように高知を溺愛してしまい、2014年に夫とともに移住。1児の母となり、映画監督の枠組みからはみ出た多数のプロジェクトを抱え、高知と東京を行ったり来たりしながら「高知愛」を振りまいて回る。
「アエイオウ」の編集を終えた4月初旬。「大忙しですね」と声をかけると、大きな目を見開き、猫背をこちらに乗り出して猛然と話し始めた。
「そうなんですよ、何台ものジェット機がびゅうんと一気に飛び立つみたいな、そんな感じが続いててですね」。東奔西走する中、父で俳優の奥田瑛二(68)、母でエッセイストの安藤和津(70)とで連携して育児を回しているという。
 さらに最近、我が子が通う幼稚園の「食育」に対する熱意と理念とに感動し、「高知県全域に広めたい」と燃えている。「理想の幼稚園、高知に作りたい。やるっきゃない!」
地方「最先端」高知 ロケハンで衝撃的体験
 高知県。全国に先駆けて1990年に人口が「減少」に転じ、32.8%の高齢化率は全国で2番目に高い。山間部の自治体では高齢化率が5割を超え、人口増が見込めない地域が随所にある。いま地方が直面する問題に、真っ先にぶつかってきた。
 そんな高知の何を気に入り、恋に落ちたのか。そう問いかけると桃子はますますコーフン気味に語るのだ。
「『0.5ミリ』のロケハンで高知に来たとき、『ひろめ市場』に行ったんですよ。ビールを頼んで席に座ったら、姉ちゃんどこからきた、タタキ食ったんか、餃子も食わないかんって、あっという間におかずがテーブルに集まるんです。で、すすめてくれた人同士が知り合いかと思ったら、『今ここで知りおうた』って(笑)。面白すぎません?」
「ひろめ市場」とは、高知城の膝下にある屋台村のこと。約60の飲食店が軒を並べ、昼前から酒が飲めるとあって、地元民にも観光客にも根強い人気がある。だが不思議なことに、この業態を他県でまねても盛り上がらない。人好き、酒好きな高知の県民性がミソなのだ。
 桃子の2年後に高知に移住した写真家・石川拓也(43)も証言する。「仕事で47都道府県を2周回りましたが、面白かったのは高知と鹿児島。ユニークな県民性で高知が断トツでした」
「映画の現場ほどワクワクする場所ってありませんよ」。「アエイオウ」では俳優を1人、県民から公募した。演技指導に何度も何度も走ったが、「走る時も楽しくて、つい笑っちゃった」。ただモニターを見る表情はこの通り
 衝撃の「ひろめ市場」から数カ月。全編高知ロケを経て映画「0.5ミリ」が完成すると、桃子は「先行上映は高知でしょ!」と、閉館していた映画館でのプレミア上映を思い立った。高揚した桃子は、父の奥田とともにビルの屋上で高知市内を見渡し、こう切り出した。
桃子「奥田さん、私、ここから革命を起こそうと思う。だから高知に移住します」
奥田「おう」
 海を見据える坂本龍馬像のごとく街を見つめる親子二人。ドラマティックな瞬間のはずだったが、現実は映画のようには素敵に進まない。上映会場に決めたはずのビルが老朽化で使えないとわかり、会場が宙に浮いてしまった。
「ええ? どーしよう?」。途方にくれた桃子は街中をさまよい歩き、夜の小さな公園の滑り台に座り込んだ。「どうしようどうしようどうしよう…そうだっ!」。高知は小さな屋台の飲み屋にも活気がある。「仮設の映画館でいいじゃん!」
 そこからは超特急。行政や地元を巻き込み、高知城西側の公園に広さ450平方メートル、約170席が並ぶ「仮設映画館」が出現した。
やると決めたら超特急「仮設映画館」に1万人動員
 このイベントを全面的にサポートした地元の建設会社「和建設」の社長・中澤陽一(65)は、笑顔でこう振り返る。「手弁当で『野外映画館』を作り上げるのは楽しかったですよ。僕が買ってきた小物を座席に取り付けたりね。だから初日にお客さんの列を見た時は、うれしかったなあ」
 こうして高知城のすぐ下に広がる公園に野外映画館が、「0.5ミリ」を上映するためだけに出現。しかもわずかひと月で約1万人を動員した。
「いやホントに驚いた」と振り返るのは、小学館で「BE−PAL」や「ラピタ」などの編集長を務め、定年後の12年に高知に移住した黒笹慈幾(67)だ。「仮設でやりたいって言うけど、正直無理だろうと思って聞いてたんです。でも、やっちゃうんだから。安藤桃子は文化暴力団ですよ」
「文化暴力団」。実に絶妙なネーミングだ。太陽のような明るさで人々を魅了しながら様々なプロジェクトを抱えて暴走する様を、言い得ている。
「ピンク革命」で文化の花を咲かせまくれ
 そして桃子が高知から起こすという「革命」のイメージも、よく似ている。
「私の革命のイメージは『花束で殴り合って文化の摩擦を起こせ!』です。花をバンバン投げ合って、花の種が散り、ぶつかるほどに文化という花が咲き、すべてがピンクに染まる。花束とは優しさ、真心。だから『ピンク革命』なんです!」
「暴力団」ぶりの最たるものが、昨年10月、高知の商店街「おびさんロード」に桃子が開いたミニシアター「ウィークエンドキネマM」である。
 発端は野外映画館をサポートした中澤の投げかけだった。「あのビルで何かやらんか」。同社が取得した雑居ビルを取り壊すまでの「つなぎ利用」を打診され、「映画館!」とほぼ即答。中澤もあっさりOK。父・奥田が山口県で映画館を運営していた実績があるため、想定内だったのだ。
 全国的にミニシアターが姿を消しつつあるご時世、映画館でどんな「革命」が可能と思うのか。
「映画には、ハートで生きるスイッチを入れる力がある。感性を刺激し、アタマではなく魂で生きることで人生はすごく豊かになる」
 やると決まれば超特急が桃子流。2カ月半でオープンにこぎつけた。「すんごいパワーですよね」。おびさんロード商店街振興組合理事長の大西みちる(41)も苦笑する。自身もミニシアター開設の夢を追ってきただけに「何とか盛り上げて常設にしたいですね」と期待を寄せる。
撮影のためにスタッフが作った焼きそばをほおばり、「うまいっ!」。自然体の明るさで、現場のムードメーカーにも
 誰もがそのパワーに驚く文化暴力団モモコ。だが世に言う「知られざる過去」も秘めている。
「キネマM」オープニングイベントでのことだ。挨拶に登壇した母・和津は涙をこぼしながら「この子がこんな日を迎えられるなんて…」と言葉を詰まらせた。こう語る。「小さいときは、どうなるのか分からない子だったんです」
 小学校の頃、母はよく「桃子さんのことで」と学校に呼び出された。例えば小学校5年の時。「授業でぼおっとしてるから、先生が『何を考えてるの?』って聞いたそうです。そしたら『ドラえもん』って。妄想の世界に生きる子どもでした」
 同時に、驚異的に精緻な絵を描く子どもだった。中学3年のとき、母はまたもや学校から呼び出された。教師は1枚のデッサンを見せ、こう言った。「お父様の絵では?」。しかしその精緻な缶のデッサンは、確かに我が子のものだった。「桃子です」と和津。「子どもが描けるはずがありません」と教師。和津、爆発。「こんな学校、やめさせます!」
「奥田瑛二の長女」を脱皮し、イギリスへ
 奥田瑛二と安藤和津の長女──。幼い頃から、自分の存在が必ずこの文脈で語られることに、誰よりも傷ついていたのは桃子だった。「ずっと『自分』ってなんだろうって思ってました。だから両親と関係のない場所で、自分の価値を知りたかった」。デッサン事件で国外脱出を決断した。
「絵描きになりたい。でも日本にいたらダメになる」。伏して両親に頼み込み、イギリスのオックスフォードにある全寮制の高校へ進学。ところが新天地では「いじめ」という試練が待っていた。入浴中にドアを開けられたり、仲良くなったはずの生徒から次々と無視されたり。だが「ここで負けたらやりなおせない」と耐えに耐え、半年ほどでケンブリッジの美術学校へ転校。こちらでは気のいい仲間に迎えられ、存分に絵にうちこむことができた。
 ちょうどそのころ、父が映画制作に没頭し始め、母方の祖母の介護も始まり、安藤家は金銭的にも精神的にもどん底に。桃子は迷惑をかけまいと、画材屋の裏に捨てられていたキャンバスを拾って課題を提出し、ごみをあさって衣類を調達。学費が払えそうにないと知るや、学校と直談判して「分割払い」で切り抜けた。
 イギリスで生き抜く力を鍛えながら、芸術を愛する個性的な仲間たちと青春を謳歌していたが、18歳で再び転機が訪れる。
「映画、やりたい」。現場の熱にあてられて
 一時帰国中、父が初監督作品を撮る現場に、「美術スタッフ」として召喚された。桃子が振り返る。「奥田さんに『手伝え』と言われたら、それは絶対的な命令。だって小さい頃から、『おい!』って呼ばれたら返事と正座とスライディングが同時って世界でしたから」
 映画制作の現場は、時として爆発的な熱量が充満する。父の現場で映画作りに関わる大人たちの熱量に触れた桃子は、電撃的に「映画作り」に魅せられた。「ほんっとーにすごかった。しかもその現場を、主役をやりながら監督で引っ張る父がまたすごくて」。現場を離れる頃には、脳内は「映画、やりたい」で満杯になっていた。
 ロンドンの超難関芸術大学を次席で卒業するも、映画を学びに渡米。しかし「どうせ学ぶなら現場」と1年で日本に戻り、父や行定勲の現場で経験を積み、2010年、桜沢エリカの漫画を原作とする「カケラ」で監督デビュー。このとき、桃子は父との距離感がつかめず、メイキングを撮ろうと現場にやってきた父を閉め出した。当時の心境を尋ねると、「あれは奥田さんの親心だった。感謝しかないのに」と反省する。
 お気づきだろうが、桃子は父を「奥田さん」と呼ぶ。母は時折「うちの桃太郎」と呼ぶ。安藤家では長女にして「長男」でもあるようだ。
「アエイオウ」の現場では、父・奥田瑛二が娘の横で撮影を見守っていた。主役の演技を父に試演させながら演出を確認する場面も。津川雅彦は「映画監督としての桃子は、『0.5ミリ』で奥田を超えたよ」
 そしていま父を語る言葉は尊敬の念に満ちている。「父の姿に、日本の映画界の歴史を継承していこうという思いを感じます」。葛藤していた父との距離感は、いつ縮まったのだろう。母が解説する。「独立プロで映画作りをするいばらの道を進む父を、同じ立場で見ているからでしょうね」
 映画制作のために財産を失う著名人は少なくないが、父も何度も財産を失いながら映画を撮り続けてきた。「この業界、ピンチだらけ。映画を作りたいのに突っ張ってる場合じゃない」。そう話す表情はきりりと長男の「桃太郎」である。
きりり、長男の顔も「誰よりもはかない」と妹
 一方で、家族ぐるみの交流がある俳優の津川雅彦の言葉は示唆的だ。「とてもいい家族ですよ。芸能家族なのにヘンなヤツがいない。特に片意地張ってるオヤジを笑顔で担ぎあげている女3人が素晴らしい。桃子がね、よく育ちましたよ」
 津川は、7年前に桃子が初めて書き下ろした小説を渡され、一読して驚いたという。「高齢者の性まで描いててね。まだ20代だったのに、たいしたもんだ」。優れた介護の技を持つ主人公サワが、老人たちやその家族の心を温めて回る物語『0.5ミリ』。介護のリアルやトランスジェンダーなど、自身の問題意識を集積した作品だ。
 小説から3年後、エグゼクティブプロデューサーに父を、主役に妹を迎え、母にはフードスタイリストを依頼して撮影にのぞんだ。意見の食い違いから父にビンタを食らう場面もあったが、「フツーにあること」と桃太郎顔でさらりと言う。
 だが、幼いころから深いところで姉と心を交わし、姿を見続けてきた妹サクラ(32)は、桃子の真の姿は「桃太郎」なんかではないと、静かな口調で告げるのだ。
「姉は誰よりも純粋な乙女です、私の目には」
 サクラによれば、桃子の人生は「全力」と「葛藤」が交互に重なるミルフィーユでできていて、「ぎゅーっと没頭して葛藤して、何かをひらめいたら体も魂もぜんぶまるごと全力で飛び込む。その繰り返し」。生命の炎をめらめら燃やす姿を見ると、誰よりもはかない生き物と感じるという。
 実際、本稿の取材終盤、「はかない生き物」というサクラの言葉がすべてを覆い尽くす出来事が起きた。夫との「離婚」だ。
 二人で協力して子育てを続けていたが、「お互いの自己実現のために」と選んだ形だったという。「30代半ばという人生で重要な時期を、後悔せずに生きてほしいんです。『家族』の形って、一つじゃないと思うから」。離婚手続き後も、夫が6月半ばに高知を離れる日まで寄り添い、笑顔で見送ったという。
魂に正直に生きられる場所で
 話を「0.5ミリ」に戻そう。
 姉妹の共闘のかいあって、映画「0.5ミリ」は国内外で数々の賞に輝いた。
 映画評論家の森直人は、プロローグの20分間を「短編映画としても成立する」と絶賛する。明るい部屋の中、サワが優しい手つきで吸引器を使って老人の痰を吸い出し、腰を抱きかかえておむつを替える。BGMは優雅な「スケーターズワルツ」。アクシデントで状況は暗転するが、映像の明るさとワルツとで、暗さを感じさせない。
 さらに森が注目するのが最初の1時間で見せる、サワと老人たちとの心の交歓だ。「特に坂田利夫さんとサクラさんの役は、社会的なコードを打ち破った自由な生き物として描かれています。きっと監督には『社会的コードは窮屈なもの』という理念があって、そのことに対して常に戦闘態勢にある。この戦闘性こそが監督の主題でしょう」
 その戦闘性は、新作「アエイオウ」でより先鋭化した感がある。世界大戦の予兆に抗う若き自衛隊員が、元恋人との苦い記憶の断片を胸に独り密命にあたる。冬の海に漂う不穏な気配、呪文のようにリフレインする密命の言葉、交錯する恋人の記憶。これらが激しく入り乱れ、何者かに翻弄され抗う青年の「葛藤」を想起させる。
 高知で生きる己の内なる声に耳を澄ませ、引き出したイメージを元に脚本を書き上げた。
 改めて、桃子にとっての「高知」とは何か。
「数値化されない領域で豊かになれる場所。いま日本ではなんでも数値化するけれど、心のこととか文化とか、数値化できないものの方が、人間の本質的な部分を強くします。人生がキツイ若者たちに、私は言いたい。『みんな、ここにおいで! 魂に正直に生きられるから』って」
 夏からは、県内の若者たちと演劇やショートフィルムを作り上げていく「桃子塾」も始まる。
 文化暴力団・安藤桃子の「ピンク革命」は始まったばかり。ぴかぴかの笑顔で極彩色の花を抱えながら、ブルドーザーのごとく暴走し続けていく。(文中敬称略)
浜田 奈美
1969年、埼玉県生まれ。早稲田大学教育学部卒。93年朝日新聞社入社。be編集部やAERA編集部、文化部などを経て、現在、地域報道部に所属。