室井佑月「北朝鮮みたいにしたいんか?」 〈週刊朝日〉
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注目のコメント
全てが表面的でどこから突っ込んで良いのやら・・と言う記事。
1点だけ。
北朝鮮は、独裁者による明確な指示により政策が実行される。
一方で忖度は、勝手に慮って政策が実行される。
例えば、かつての震災における原発事故で、武黒フェローは現場の吉田所長に対して海水注入を停止するよう指示をしたが、これは菅直人総理に忖度した結果の誤った判断だ。
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さて、かつて田中角栄総理の時代に新潟県はかなり優遇された。
新幹線は開通し、新潟市の道路は名前こそバイパスだが、実態は3車線無料高速道路だ。
一方で橋本政権以降、公共事業は削減の一途となっており、第二次安倍政権でも例外ではない。
では山口県の主要インフラはどのような状況か。
山陰新幹線も計画はあるものの未着手、道路もそれ程立派ではなく地域は人口流出も相まって衰退傾向、橋梁は老朽化で危険なものも多数。
ここで、地域を活性化させるべくインフラを高度化する事に何の問題があるのか。
問題はむしろ、公共事業の削減を推進している手前、安倍総理自身が山口県のインフラ整備をしたくても出来ない状況にあるのではないか。
著者が主張するような事実があるなら、山口県のインフラは既に新潟以上になっていなければならない。
あるいは、安倍総理の出身地なのだから、山口県に住んでいる人々などは衰退すべきだとかの意見なのだろうか。
本件の問題は公共事業の実施を忖度によって決定した点ではない。
かつて武黒フェローが忖度した結果として誤った判断をしたように、忖度に忖度を重ねて政治が動かされる点だ。
忖度などせずに、堂々とコミュニケーションを取れば良いではないか?と思わずにいられない。
永田町のコミュニケーションこそ、「平成どころか昭和」のまま時間が止まっているようだ。議論はどんどんすればいいと思います。でも今は向き合いませんよね。
三島由紀夫vs.東大全共闘(1969年5月)は本にもなり一部は動画で今も視聴可能です。皇室や天皇の問題も同じ場で討論し合った伝説の激論とされています。
右も左も真正面からぶつかった時代とされていますが、動画視聴してつくづく思うのは、右も左も異なる思想に根底では敬意があった、そういうことでしょうか。左右どちらも、日本を良くしていきたい、そういう思いで向き合っていたんですよね。単に思想が異なるだけで。
東大の学生が「三島先生...いや三島さんが」と言い換えて大爆笑、聞いていた三島由紀夫もまんざらでもない苦笑い。ユーモアもあったんですよね、左右どちらも。日本にそれだけ余裕とそこから生まれるユーモアもあった時代だったのかと考えています。
議論は様々な立場から意見を出し積み上げて良い結果を生むために行うものであり、別に異なる思想や立場を論破したりネガティブな感情を募らせるためにあるのではないと考えていますが、どうも難しくなったのかもしれませんね。「北朝鮮みたい」という言葉から真っ先に連想するのは、国民が飢えていて、政権が気に入らない人は投獄や拷問をされて、国民の生活より核開発を優先していて、国の事業としてサイバー攻撃や贋札造りや誘拐をしているような国だけど、日本はそんな風になりそうなんですかね?