裁判所はなぜ、娘に性的虐待を続けていた父親を無罪としたのか
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注目のコメント
この事件について、ネットで批判が相次いでおり、先日、私が所属している犯罪被害者委員会でも話題になりました。
判決文を読んでいないのに結論だけ批判はすべきではありません。十分判決文を検証した上で議論すべきです。
そういう意味では、判決文開示はなされるべきなのでしょう。
一方で、特に性犯罪については、被害者のプライバシーを守らなけれいけません。
いくら公開の法廷で裁判がなされているとはいえ、このネット社会において、裁判が公開されていることと、最高裁のホームページや判例検索に掲載するのとでは、質が違います。
裁判にすることさえ抵抗がある被害者が、たとえ匿名であるにせよ、ネット上に掲載され注目され騒がれるのは耐えがたいと思います。
ネット上に公開するのであれば、まずは被害者の同意が必要です。その上での検証でなければなりません。本件については、滝本太郎弁護士の下記ブログを読んだことが、ハッ、この流れはまずいのかも、と思い直すキッカケとなった。興味深い内容なので一読をおすすめ。
https://sky.ap.teacup.com/takitaro/2544.html
判決内容にて裁判官訴追要求とのこと。
上記よりハッと思った部分を抜き書き。
> 裁判官の独立は、他の権力や最高裁行政からも独立させて、各(各裁判=訴訟法上の意味での)裁判所の独立を守る貴重な原理であり、近代憲法の根本だからです。
> また、そもそも合議体で出された判決は、3人の合議によるものであり、その裁判長が決めるものではありません。ひょっとして裁判長裁判官は有罪判断だったのかもしれないのです。
> なんで検察側が「強制性交罪」に訴因変更を求めなかったのか、と大変疑問に思いました。そのようにすれば、より有罪になる蓋然性があったとも思われるからです。
> 「暴行・脅迫」により抗拒不能にして姦淫した場合は、「準」ではなく強制性交罪になります(当時は「強姦罪」でしたが大正13.11.7大審院判決)。すなわち、今回の問題は、上記からすると検察側にある可能性が高いと思われるものです。
訴因の選択を誤った検察のミスプレーが上告により修正される可能性を今後注視すべきと読める。自分は法律の知見があるわけではないけど、本コメント欄をはじめ良心的な法曹諸氏の指摘を読む限りではそれほど間違った態度ではなさそうに思う。
いっぽう、江川紹子さんの本記事における指摘で白眉なのは以下のくだり。
> 検察が取り調べの際に、録音録画を行ったのは適切だった。
> 驚くのは、録音録画が行われている中で、被疑者が言ってもいないことを検察官が調書に書く悪弊が、今なお行われている、ということだ。こうした事実も、裁判所の姿勢を、より慎重に検察側の主張立証を検討する方向に向かわせたかもしれない。
言ってもいないことを調書に書く悪弊へのチェックとして取り調べの録音録画ということが言われているのにこの有様なのは、「録音録画は何のためか」が十分に現場に落ちていないまま単に機械的に録音録画が行われているに過ぎないのではと思ってしまう。裁判官が「このような検察のありようを肯定するわけにいかない」と判断したとして、それもまた十分に良心的な態度なのではないか。ある事件の判断について、事件記録も見ていない蚊帳の外の人間が論評を加えるべきではないと常々考えています。
特に昨今の性犯罪無罪判決に対する巷間の動き(裁判官に対する誹謗中傷)は目に余るものがありました。
本来、検察官による主張立証は十分だったのかという検証プロセスを踏まえて判決文を熟読し、弁護人による反証が成功しているのかまで確認した上で、初めてその事件について「確認する」ことができます。
江川さんが書かれているとおり、それが非常に難しいのが紙文化の日本。裁判は公開されると憲法で定められているにもかかわらず、未だにICT化はされない。
本記事の最後の2段落が極めて重要です。