新天皇がもたらす静かな影響力
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昭和天皇が模範としたのは明治天皇でした。これは、乃木大将ら昭和天皇の傅育に関わった人々がしたことです。明治天皇は大元帥として陸海軍を率い、日清、日露戦争に勝利した名君として教えられてきました。もっとも、京都で何世紀も培われてきた、政治に関わらずに生き延びる君主のスタイルは根強く、このスタイルは戦後米軍の占領下でも生き延びていくのには役に立ちました。
明仁親王は、模範とできる人物がおらず、自ら天皇像をつくっていくことは、昭和天皇以上に困難だったでしょう。明仁親王は、戦後の日本人社会をよく観察し、経済成長に合わせて都市に移動した日本人の生き方に歓迎される天皇像を示しました。結婚の相手を自分で選び(もっともそのパレードがテレビに映ると農村部の老人たちはテレビの前に集まって拝んでもいましたが)、家族を大事にする姿を周知しました。憲法を重んじ、外国に興味を持たずドメスティックな生活の充実を求める国民の価値観を肯定しました。
徳仁親王が自らの天皇像をつくることは猶更困難でしょう。日本人に世界への関心を持つように仕向けることは正しいでしょうが、国民が本当のところ歓迎するかどうかはわかりません。令和時代に日本人の何%かは外国にルーツを持つようになることも考えられますが、その統合を推進する役割も考えられます。江戸時代なら京都の宮廷にあって、日本人の大部分には意識されないでいても大丈夫でした。日本の教養は天皇無くしては成り立たなかったです。今の日本国民がそういう教養から離れている以上、天皇の存在意義を示すことははるかに困難です。ピーター・ランダースWSJ東京支局長さんに感謝です。
裕仁天皇、明仁天皇、美智子皇后に関する知らなかった史実がいろいろ書かれています。非常に面白く興味深かった。
「両陛下は、沖縄は11回訪れ、戦没者を追悼した。これは沖縄占領を長引かせた昭和天皇の役割に異を唱える意味と、沖縄の苦しみに対する悔恨の念を示す行動だと広く受け止められている。」
「美智子皇后の動きは、護憲の立場をとる人々に対し、両陛下が支持していると考えるよう促した」
Peter, good job!