【山田孝之】令和? 僕の元号は、もう200回変わった

2019/5/1
名前を聞いて思い浮かべる人物像が、人によってこれほど異なる人はいないだろう。
ある時は爽やかなイケメン、ある時はひげ面の個性派俳優。他にもアーティスト、プロデューサー、さらにはスタートアップの経営者まで。知ろうとすればするほど、さらに活躍の幅を向こう側へと広げていく。
芸能界という特殊な世界にありながら、まるでその壁が存在しないかのように自ら壁を切り開き、さらに高みへと行く。それも、肩肘張らず、実に自然体のままで。
山田孝之とは、一体何者なのか。
「令和」の始まりの日にあたり、NewsPicks編集部が山田本人にロングインタビューを敢行。時代の変化を吹き飛ばす、圧倒的な個性の秘密に迫った。
山田孝之(35)1999年にデビュー後、俳優としてテレビ・映画を始め、第一線で活躍。現在はアーティスト・プロデューサー・経営者など、多角的な活動をしている。
山田 「終わり良ければすべて良し」。僕、これが一番嫌いな言葉なんですよね。
終わりが良くなるまでにあれだけ苦しい思いをしているのに、そういう全てを忘れたような、結果全部良かったんだという言葉が嫌いです。
僕は15歳から俳優をやってきました。苦しい思いをしてきたから、「変えるために何かやらなきゃいけない」と思っています。
時代は1人で作れない
──新しいことをやり続け、新時代を作っていく。
時代は1人では作れないですよね。
いろんなことが常に変化していく中で、時代も移り変わっていく。そんな考え方なので、適応能力はそこそこあるのかなと思います。変に何かにしがみつくような考えがないというか、そもそも生きていることにしがみついていない。
生きるためにどうしたらいいかというより、今の段階で何をすべきかが大事で、死んだら死んだだしという感じです。
──ずっとそういう感覚で生きてきたんですか。
いや、昔は死にたいと思っていたんですよ。いつ死ぬのかなあみたいな。
それが多少は生きなきゃいけないというか、「死のうと思ってはいけない」に変わったぐらいですね。
でも死ぬから、どうせ。生きようと思っても死ぬし。なるべく回避しようとは…いや、していないかもな。
危機回避をし始めたら、キリがないじゃないですか。危ないから車は乗らない、バイクはもっとダメだとかね。そんなことをやっていたら、究極家から出られなくなる。家にいたって、死ぬときは死ぬわけだし。
僕からすれば無駄な先の不安は考えないですね、何もできなくなっちゃうから。
僕は、やりたいことは既にやっていますし、やり始めたことは絶対実現するまでやるんです。1年でも、3年でも、5年かかっても。でもここ5年は、やりたいからやってきたことと、今やりたいことの優先順位が下がっています。
それは、「やらなきゃいけないこと」が増えてきたから。
──具体的に、何をやらなければならないんですか。