大石静氏が語る「ドラマ離れ」、テレビ局と脚本家の小粒化が深刻に
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注目のコメント
自明になってきていますが、特に放送局のドラマはもはやリアルタイム視聴率だけの物差しで測ることに無理があるし、録画視聴率も含めてそのドラマの実力とするべき。
ただ一方広告主としては録画で見られたタイミングが遅くなればなるほど広告価値が下がる可能性もあるし、そもそもスキップされてしまうこともあるというジレンマ。(TVerに関してはキャッチアップなので、リアルタイムに近い評価ができうる分広告価値を担保できる?)当たり障りのない、誰でも目にするようなもの(原作の漫画や小説など)を題材にしていれば、それは飽きるに決まっていますよね。
またスポンサーの意向が第一義、確かにスポンサーのが大事にしている企業イメージはあるかもしれませんが、「なるほどな、○○らしいよ」のような予定調和だけ見ていればそれは離れていきます。
ドラマはドラマ、フィクションなのは当たり前、それをどう作り込んでいくかがクオリティなのは、ごく当たり前のことです。
本当に世の中って優しいものに包まれているだけのものは実は望んでいない。心の奥底では半端ない熱量のあるものを求めているような気がします。
仮に当たり障りのないものを望んでいるのだとしたら、こんなに視聴率は下がらない。娯楽の多様化という言い訳に逃げていると思います。
面白いものにはお金を払ってでも参加します。
時代の読み間違いをテレビ関係の人はしているのではないでしょうか?「ドラマ離れ」の背景とは。企画段階で数字が見えやすい漫画・小説原作ものが基本形になり、制作は配慮しなければいけないことも多いと言われてきましたが、それだけが原因ではないようです。