エリート街道を外れてカフェ経営。国分寺から発信する新しい経済
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『愛情』を不時着させたことで、巻き起こる成功体験(逆説的な結果)にコミットするすることで得られることもあるでしょう。それもひとつの生きる道かと思いますが..
『自分がこれをつくりたい』「そして届けたい、あるいは救いたい」といった正直な気持ちを抱えずに仕事をすることで、自分自身が見出せるはずの『愛情』を棒に振っているように思います。人生では誰もが当事者であるのにも関わらず違和感を抱えたまま何かを慮るほど、納得はできない行為はいかがなものでしょう。
飛躍しすぎでしょうか?
注目のコメント
この記事を書いた川内です。影山さんはカフェ2店舗の経営を通して「気持ちを込めてまっとうに仕事をすれば、それは経済的にも成り立つはず」という仮説を立証しようとしています。この記事では、そのための試行錯誤を描きました。
ニーズ、商圏、競合などの分析をしない。事業計画を立てない。仕事をマニュアル化しない。企業経営で「当たり前」とされていることの真逆をいく手法で成長を遂げている影山さんの話は目からウロコでした。
「利他」と「ギブ」を前提とする影山さんの取り組みがほかの企業にも拡がればいいなと思っています。これを読むと「商売とは?」「仕事とは?」「親しまれる場とは?」という疑問に対するヒントになると思います。
仕事としての目標を追えば、いつのまにか「利益の獲得」のために全てをかけてしまいます。組織の中で自身が矢面に立って、利益と大義のバランスをとるのは、困難なことでもありますが、組織の中でももちろん不可能ではないと捉えています。
あとは自身が何を望むか?どういう環境だと楽しめるか、気持ちいいか?
特に後者は、お客様に伝わっていくはずです。それが実現できる環境を選ぶこと。就職だけでなく、コミュニティの選択も含めて、できることの幅は確実に広がっています。
そして、国分寺に行ってみたくなりました。会社は社会のため、人のため、働く人の幸せのために存在する。競争社会ではこの考えは受け入れられにくい。それにチャレンジしたクルミドカフェ。
成長し続ける企業は、顧客を大切にする。顧客の喜びは働く人の幸せにつながります。
顧客に喜ばれた対価が売上になり、利益になります。