東大祝辞の核心「日本は世界一冷たい国」 - 上野千鶴子氏の声が届かない理由
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注目のコメント
お説ごもっともと思いつつも、強烈に感じる違和感の正体を斎藤陽さんが非常に適切に論じてくれていますね。
筆者が言う世界一冷たいはずの日本人が、なぜしばしば大地震や大災害で世界的にも希な優しさや社会的一体感を見せるのか?
弱者切り捨てのはずの日本人が、なぜ強者を叩き、弱者に対する過度とも言える肩入れをすることがあるのか?
私も同様に欧米流のgiveという概念だけでは説明し得ないと思います。
例えば古代ローマなどの遺跡に行くと柱の一本まで、だれそれが作ったとか、寄付したという銘が残されています。
ローマ人には古来より権利と義務は一体だと考え、多くの権利、権益を持つものは、必然的に多くの義務を社会的に果たすべきだという考え方がありました。
これが後にGive&Takeとなって、ローマ滅亡後もヨーロッパの根底に流れ続けてきたと理解されています。
しかし一方で我が国における社会的な暖かさとは、自然災害が多い国の特性から「困った時はお互い様」という点に立脚していると考えられます。
またその行動規範は「お天道様がみている」という言葉に見られるように、明確な見返りはないけれど、自然災害を前には権利義務や権力による強制がなくても全員が協力しなければならない、というなすべき社会正義が刷り込まれているように思うのです。
社会の成り立ちや特性を無視して、アンケートや統計だけで日本は世界で一番冷たい国と断じるのは、それこそ冷たいものの見方だと思います。人は3種類に分類され、
「Giver(人に惜しみなく与える人)」
「Taker(真っ先に自分の利益を優先させる人)」
「Matcher(損得のバランスを考える人)」
このうち、最も成功を収めるのは「Giver」とのこと。
弱いものいじめや自分の勢力をなりふり構わず獲っていこうという人達は、いずれしっぺ返しに合うと思います。上野さんの祝辞に批判的な人が少なからずいるのは、
・自身の女性学としての主張を入れすぎ(若干時代に合っていない、男性差別的)で、一般向けとしては良くても祝辞として適当かどうか微妙
・統計が大事と言っておきながら、自身の主張に都合のいい数字の扱いが散見される
・既に世界から見て東大はエリートでもないのに特別視し過ぎ(他大学入学式の祝辞だったらどうだったかを考えると東大差別的)
などの論点があるからで、
"あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください"
の部分に共感できなかった人は殆どいないだろう。にもかかわらず、批判の多さをこの一文に共感できない冷たい日本人のせいにするために、日本人の冷たさを示すデータをこれでもかと集めているために、読む方は更に違和感を感じてしまう。
例えば、「国は貧しい人々の面倒を見るべき」と日本人があまり考えないのは、個人主義的な自己責任論からではなく、むしろ困った時場お互い様で、役人も政治家も大してエリートでもないと知っているからだろう。だから、国にはそれ程期待しない。
むしろ自己責任論が謳歌して来たのは最近の話で、他人に優しくあるべきというのは当然のこと。一部の兆候と全体の話を混同している。
むしろ日本一冷たいのは、Newspicksが推し進めようとする世界観の方ではないか。