「シングルロール」のマーケターに未来はない

2019/4/25
他の職種に比べて定義があいまいな「マーケティング」。マーケターを名乗る人でも手がけている仕事、スキル、意識は千差万別だ。オウンドメディアマーケティング、ウェブマーケティング、コンテンツマーケティング、プロダクトマーケティングなど、さまざまなマーケティングの役割を分類したようなキーワードも追いきれないほどだ。
そんな「単体ロール」のマーケターに、AIスタートアップのABEJA代表取締役社長の岡田陽介氏が疑問を投げかける。「マーケットを創ることこそがマーケターの使命でありだいご味ではないか」
テクノロジー活用が前提の社会で「すべての職業は再定義されるべき」という持論を持つ岡田氏。これまでコンサルタントとエンジニアの再定義論を紹介してきたが、今回はマーケターのあるべき姿をABEJAに籍を置く3人のマーケターとともに語り合った。

「マーケットを創る」というマーケティング

──ABEJAは創業から8年目に入り、企業がAIを取り入れたいと考えたとき、事業戦略の段階から声をかけられる相手として認知されるようになってきました。
技術力の高さがその主要因かもしれませんが、「マーケティング」という側面ではどのような考えをお持ちでしょうか。
岡田 ABEJAが創業した2012年当時は、AIのマーケット自体が存在していませんでした。
AIは既存のテクノロジーやシステムをリプレイスするものではなく、まったく新しい仕組み、価値を提供するものですから、お客さまにとっても「未踏の地」。ですから、提案しても、最初はそもそも理解してもらえないケースが多かった。だから、既存のマーケティングスキルやメソッドなんて通用しないと感じていました。
1988年生まれ。名古屋市出身。10歳からプログラミングをスタート。高校でCGを専攻し、全国高等学校デザイン選手権大会で文部科学大臣賞を受賞。その後、ITベンチャー企業を経て、シリコンバレーに滞在中、ディープラーニングを中心に人工知能の進化を目の当たりにし研究活動に従事。2012年9月、帰国。日本で初めてディープラーニングを専門的に取り扱うベンチャー企業である株式会社ABEJAを創業。2017年には日本ディープラーニング協会理事にも就任する。2017年12月から2018年3月まで経済産業省のAI・データ契約ガイドライン検討会委員、2018年2月からはLogitech分科会委員を務める。
岡田 小島さんはアドビシステムズやアマゾン ウェブ サービス ジャパン(AWS)などでマーケティング責任者を務め、今はABEJAをサポートしていますが、ABEJAはほかと何が異なりますか。
小島 岡田さんが話す通り、一からマーケットを創り出すという点でしょう。
アドビにしてもAWSにしても、既にあるユースケースやシステムを置き換える、カイゼンする、というビジネスが主体でした。AWSではクラウドというニューテクノロジーを一気に普及させましたが、それでもオンプレミスシステム(顧客が所有・運用するシステム)からの置き換えとしてマーケットが存在していた。
ただ、ABEJAは違う。すでにAIを使いこなしている企業なんてほぼ存在しませんから、置き換え需要もない。真の意味でまったく新しいユースケースに魅力を感じて納得してもらわなければなりません。
すでにマーケットがあり成功企業の事例もある分野ならば、他社の成功事例を可視化してお見せすれば「そういうのをやりたい!」とお客さまはイメージが湧きます。だから、マーケターは「そういうの」をたくさん作って極めてわかりやすく伝えていけばいい。
ところが、ABEJA、もっと正確に言えばAIのマーケットにはそれがない。だから、私たちは誰よりも早くAIに対する感度の高いアーリーアダプター層を見つけて並走し、ともに成功事例を創り、それを同じような感度の企業とシェアするコミュニティを形成することに心を砕いています。
明治大学卒業後、電子フォーム/XML関連ソフトでのマーケティング責任者や、アドビシステムズでのPDF、RIAのエンタープライズ、デベロッパーマーケティングなどITのマーケティング職に従事。その後、アマゾン ウェブ サービス ジャパンに移籍。マーケティング本部長を務め、クラウドコンピューティングを利用する人々のコミュニティ「JAWS-UG(Japan AWS User Group)」を創設し、日本最大規模のコミュニティに育てる。2016年8月末に同社を退職。2017年から国内外の複数企業でパラレルマーケター/エバンジェリストとして活動を開始。ABEJAには2017年8月からマーケティングディレクターとして参画、現在に至る。
岡田 一緒にチャレンジしてくれるお客さまがいて、マーケットが形成されていくと私も思っています。
だから、ABEJAという企業や私たちが持つソリューションのマーケティングよりも、日本のAIマーケットを創造するマーケティングをABEJAのマーケティングチームは担ってほしいと思っています。
鵜木 私がABEJAに入社した2016年でも、ようやくAIがニュースに出てき始めたところで、まだ何なのかよくわからないものと受け止められていました。
AIに対する関心が高いお客さまでも、AIを「何でもできる魔法の杖」だと思っているお客さまも多くて、理想と現実に大きな溝もありました。
マーケターとして、AIに魅力を感じさせながらも現実解としてビジネスに実装できるAIとは何なのかを、しっかりコミュニケーションを取りながら浸透させていくのが難しくもあり、面白くもあります。
AIは目に見えるプロダクトではありませんし、まったく新しいテクノロジーですのでお客さまは事前に効果に対して自信を持ちにくい。ある程度の勇気と覚悟が必要だと思います。そんな心境の中で、ABEJAに賭けてもらうためには、技術力だけでなく、私たちのビジョンや目指す世界観も伝えて共感を呼ぶマーケティングも肝に銘じています。
早稲田大学政治経済学部経済学科卒。日本ロレアルにマーケティング職として入社。コンシューマープロダクツ事業本部でヘアカラー・ヘアケアのプロダクトマーケティングに従事。その後、ソーダストリームでマーケティング職に着任。ECを中心とするデジタルマーケティング、インストアマーケティング、製品開発を中心に業務を担う。2016年3月にABEJAに移籍。カスタマーサクセスを担当後、現在は製造業や小売業を対象としたマーケティングを担当する。

数字、手法に注目しすぎるマーケティングは危険

──ここまで、AIにおけるマーケティングの特徴を話してきましたが、岡田さんはそもそも、一般的に語られるマーケティングに違和感があると聞いています。
岡田 「マーケティング」という言葉は誰もが知っていて、当たり前のように使っていますが、正しく理解している人は少ないと感じます。なんとなく「マーケティングしなきゃ」っていう雰囲気に押されて、なんとなくはやり言葉に流されて、手探りに何かの施策を打ち、本質を理解していないように感じられてなりません。
小島 確かに、その雰囲気はありますね。その背景には、今の日本の市場環境が影響していると思います。
人口が減少傾向で、GDPや多くの既存ビジネスが縮小することは確定事項。近代で初めてマーケット全体がシュリンクする時代を私たちは生きています。
過去と同じ手法を続けていたのでは売り上げは下がるから、変えないといけないという課題認識のもと、状況を打開する特効薬みたいなイメージで「マーケティング」という言葉が使われているのではないでしょうか。みんな言っているし、とにかく始めないといけない。でも、やり方がわからないという状況になってしまっています。
そうすると、どうしてもわかりやすい手法から入る。SEO対策だ、コンテンツマーケティングだMAも導入しないと、とか……。どれも必要なことですが、そもそも軸ができてないから精度が低く、そして結果にコミットできないのかなと。言葉は悪いですが、名ばかりのマーケティングが多くなってきているように感じます。
岡田 「軸」というのは?
小島 さまざまなマーケティング論はありますが、ゴールはお客さまに購入していただき、それを長く使っていただき、ファンになっていただくこと。そのためには、まずは、誰がお客さまであるのか、ターゲットを決めることが重要です。
マーケティングは恋愛に近くて、まずは気を引きたい相手がいて、そこからがスタート。誰を振り向かせたいかが定まって、その人はどういう人やモノやコトが好きかを把握して、何をどう伝えるかという順になりますよね。「How」からではなくて、「Who」→「What」→「How」の順番でやるべきなんです。
往々にして「How」が先にきていることが多い。そして、取れる数値だけですべてを理解しようとしているのもよくあることじゃないでしょうか。KPIは大事だし、計測しないと改善もできないのは事実ですが、全部の数値を取れないのも事実です。
だから数値は参考値にしながらも、全体を見通す力が必要になります。ところが、最近のマーケティングの傾向としては数値に偏重し、スペシャリストによる分業化が進んでいる。
あるべき姿からどんどん遠ざかっているように思います。山登りに例えると、高度計で表示される数値は判断の助けにはなりますが、この数字だけ見ていても、安全に早く登ることはできません。精度の高い新製品の高度計を買ってきても、高度計だけ見て地図やメンバーの体調、天候の変化等を総合的に見ていなければ、頂上に早く着かないばかりか、遭難する可能性もあります。

「進路」を決められるマーケターが必要

岡田 スペシャリストであると同時に分業ではなくマルチロールなマーケターのほうが活躍できるし、求められるのかなと思います。
永淵 「How」で切り取られてアサインされると、どうしても分業化してしまいますが、そもそもマーケターはマルチロールなのかなと思っています。
置き換え需要ではないマーケットを少ない人数で創っていくには、最短距離で頂上を目指さないといけない。そうすると「Who」から始まる本来の順番で、マルチロールでドライブしていく原点回帰が自然な流れになっていくのではないでしょうか。
新5000円札に選ばれた津田梅子創立の津田塾大学 情報科出身、学生時代はPysical Computingを専攻。2011年株式会社サーバーワークスに新卒入社。クラウドゆとり世代として、AWS(Amazon Web Services)を中心としたクラウド事業に従事した後、2017年9月からABEJAにジョイン。日々、火中の栗を拾っている。
鵜木 デジタルだけ、コミュニティだけ、数値だけ、といった個別要素だけでは人の行動変容には結び付かないと思います。それに、知ってもらうことから購入したいと思うところまで、すべての活動をサポートしようとすると、必然的に全部のロールをカバーせざるを得ない。
マーケティングとは、人に行動変容を促すためのアクティビティすべてを指す総称だといえます。簡単ではないですが、目指したい姿ですね。
小島 これからは、「どの山に登るか」を自分で決められるマーケターが必要とされます。というのも、いつ市場のルールがひっくり返るかわからなくなっているからです。状況を冷静に見て、どの山に登るべきなのか、あるいは登らないほうがいいのか判断できる力、会社のリソースとマーケットをつなぐことができる能力が求められる。
デジタルで登るのが得意な人、コミュニティを経由して登るのが得意な人、あるいはアーリーアダプターの山を登るのが得意な人といったように、得意不得意はあるとは思いますが、いろんな登り方ができるようになっておきたいですね。「How」から入ると、その手法の枠内でしか考えられなくなってしまう。閉じこもっていてはいけないと思います。

8000人規模のカンファレンス開催を2人で実行

──ABEJAでは「SIX」という年次カンファレンスを開催しています。ABEJAのマーケティングプランの中でも重要なイベントかと思いますが、永淵さんが中心となり、全社一丸となって進めたと聞いています。
岡田 2017年は「1000人のイベントをやろう」って無邪気に言ったら形にしてくれて。そして今回は8000人を熱狂させるために力を尽くしてくれました。
写真提供:ABEJA
永淵 それをどう解釈するのかは私次第で、いろんな人の顔を思い浮かべながら、今ABEJAとして伝えたいことは何か、どんなマーケットを創りたいかを考えぬき、落とし込んでいくのは、すごくやりがいのある経験でした。本気で大変なんですけど(苦笑)。
登壇いただいたお客さまからは、取り組みが間違いないという実感を得られた、というお話をいただき、来場した方からもSIXによって市場がすでにあることを実感したというお声をいただきました。AIがビジネスに実装できるという事実を伝え、ABEJAだけでなく、市場全体を広げていることに寄与できているという確信が持てました。
終わった後の会場で、ABEJAのチームメート、みんなの顔からやりきった感が出ていたのがわかって。ああ、よかったと。
とにかく、ABEJAのマーケティングは考え、行動することが多い。スタートアップだから人が少ない側面もありますが(笑)、マーケティングをするうえで、プロダクトのビジネス設計から入り、セールス、そしてカスタマーサクセス、カスタマーサポートのことを考えプランニングをしますから、おのずと経験できる範囲が広い。SIXはその集大成的な場でした。
写真提供:ABEJA
岡田 創業7年で、ここまでの人を集めてくれて。でも、これは一緒にマーケットを作ってきたお客さまあってのこと。
小島 自分たちで自身の価値を言うのは誰でもできますが、お客さまの言葉で伝えてもらうと、同じことを言っても伝わり方、動かされ方って全然違ってきます。ダイレクトメールでは振り向かなくても、友達の口から薦められたら、気になる。同じような立場の人に話してもらうことがすごく大事です。
岡田 コミュニティマーケティングにおける一番のポイントですね。
小島 はい。ですが、この手法が正解というのではなくて、マーケターとして常に進化していきたいと思っています。今、新しい状況が次々に生まれているのがAIの世界ですが、これは今後いろんな分野で起こりうることです。
ABEJAは、AIのマーケットを学んでいるのではなくて、今までにない価値を提案して、ミッションをクリアし、そしてお客さまをサクセスへと導くという手順を学べる環境だと思いますし、これこそが、本来マーケターに一番求められるスキルだと思います。
永淵 私も同じように、SIXのようなカンファレンスなどを通じてマーケットを創っていく時の視点を学べているという感覚があります。
組織自体が一点集中のスキルではなく、経営、テクノロジー、リベラルアーツの掛け合わせができるアントレプレナーが集まってできているので、テクノロジーやアカデミックな情報に触れる機会がごく自然にある。
純粋に好奇心を満たしてくれるのと、それをどう伝えようかと考えるのが、本当に面白くて。これらを面白いと思える方ともっと組織という幅を超えて接点を持っていきたいなと思っています。
鵜木 事業に近いところに立って、市場は何を求めていて、どのように売っていくべきなのかっていうとこまで踏み込まないと、商談につなげられないんです。だから必然的に自分で営業にも行ってみるし、積極的にエンジニアと話をします。
ITではないコンシューマープロダクトのマーケティング出身なので、最初はキャッチアップが大変でしたが、マルチロールでやりたいことができるし、ビジョンを実現するために落としていくダイナミックなマーケティングができて、とても面白いですね。
SIXやコミュニティマーケティングを通して社内外の人たちから感じ取ったのは、みなさん実現したい世界観があって、そのための一つにAIを位置づけている人ばかり。今変わらなければいけないと思っている業界の方に、AIをどう届けるのか。スピード感を持って市場を創るダイナミクスの中に居ることに、大きな充実感があります。
岡田 まだまだ道半ばですが、これからもAIという壮大なマーケットを創る意気込みでABEJAのマーケティングを発展させていきます。そして、マルチロールで新たなマーケットを創り出せる真の意味のマーケターとご一緒していければと思っています。
(取材・編集:木村剛士 構成:加藤学宏 撮影:北山宏一、森カズシゲ デザイン:九喜洋介)