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1300年も前のことですから色々な解釈があってしかるべきですが、実際に古来より有力豪族だった大友氏と新興貴族の藤原氏は対立関係にあり、皇族派だった大友旅人は当然長屋王の死とその原因を作った藤原氏をよく思っていなかっただろうというのは、よく言われるところです。

ただ、長屋王の変を起こした藤原四兄弟の次男藤原房前とのやりとり、所謂「梧桐日本琴の歌」について、「お前の悪巧みは知っているぞ」という反政府宣言の歌だとするのは流石にちょっとどうかなと感じます。
何故なら、長屋王の変の後、大友旅人は逆に中央政界に復帰し、大納言従二位に出世、太政官として新政権のトップの座についているからです。
因みにこの位は、新政権では藤原氏を凌ぐ人臣最高位に当たります。(序列トップは舎人親王)
つまりクーデター後の新政権はよく言われているような藤原氏独占ではなく、豪族連合、つまり藤原氏、大友氏、丹治比氏らの連立政権だったということです。
(もっとも大友旅人はこの翌年に亡くなってしまい、藤原氏への権力集中が進んでいきます)

大伴旅人も長屋王も元を正せば二人とも藤原不比等に引き上げられた人物であり、藤原四兄弟とは良きにつけ悪しきにつけ付き合いがありました。
中でも文人として知られた房前とはかなり親密な関係であったことが伺えます。

このように歴史の解釈、特に政治がらみのことは簡単に白黒や二極対立で説明できるようなことではなく、いかようにでも解釈することが可能です。
大伴旅人の歌に、妻の死と長屋王事件の影響が色濃く反映されていることは、万葉集の研究者は誰でも指摘することですが、それを現代の政争に絡め、解釈することはあまり良いとは私には思えないのです。
これは…すごい話ですね…