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シリアをはじめ中東のいくつかの国で抑圧的体制がなくならない、あるいはそういう体制が無くなると内戦がおさまらなくなる、というのは根の深い問題です。根が深い、というのは、悪い人間が数人いるからそうなっている、というわけではなく、人間関係や経済を含む社会のあり方が、そういう体制を維持してきている、ということです。
 「あのへんの地域はああいう社会だから押さえつけていないとバラバラになって内戦になってしまう、だからしょうがない」というようなあきらめ、もしくは関わりたくないという意見もあります。しかし、現地の人たちにすれば、あんまりです。抑圧的な体制は、経済的な非効率、利権を独占する特権層と結びついており、経済の発展を阻害しています。インフレによる生活必需品の高騰や数十%の失業が起きた時に、人々の不満が抑えられなくなる時は来ます。
 一ついえるのは、抑圧的な体制が社会から多様性を奪ってきたために、政権交代がうまくいかないということです。チュニジアでは労働組合やイスラーム系NGOなどが一部残っていたため、ベンアリ政権が倒れた時に、何とか政権交代の受け皿になることができました。シリアの場合、労働組合など実質的には存在しないし、イスラーム関係も極度な御用学者や御用学校のようなところしか存在を許されませんでした。ジャーナリズムにしても同様で御用新聞、御用メディアしか存在していませんでした。
 民主主義というのは空理空論ではなく、社会に多様性があることを保障し、様々な問題が起こった時に調整しながら解決できるようにするための仕組みです。複数政党制も市民社会も相当なコストのかかるものですが、着実に育成し、維持していかないと、いざという時に破滅的なことになる、という例を今のシリアやリビア、イエメンは示しているし、スーダンなどいくつかの国もその瀬戸際に瀕しています。
私はこの問題についてはジャーナリストの人達とは少しちがう考え方を持っています。

アサド親子によるシリアがバース党の一党独裁であり、又少数派のアラウィー派が多数のスンニ派を支配する歪な支配構造からくる強権的、非民主主義的な国家であったことは紛れも無い事実です。
私自身もかつて3週間ほどシリアを旅行したことがありますが、当時は平和で安定した社会ではあったものの、政治の自由度はほぼ皆無だったと感じました。

しかし、だからといって2011年から始まり、未だ終わりの見えないシリア内戦がここまで凄惨な事態になった責任はアサドとバース党政権だけにあるのではありません。

シリア内戦の初期、シリア周辺諸国はそれぞれの政治的な思惑からアサド政権の転覆と、自国に都合のいい勢力によるシリア支配を望み、大量の武器弾薬、多数の傭兵をシリアに送り込みました。

しかしその侵略行為は、悪のアサド政権を倒す自由の戦士への援助と美化され、膨大な量の兵器がシリア中に行き渡たり、結果として凄まじい数の無垢の市民が犠牲になったのです。

しかし多くのメディアはこれを一方的にアサド政権、後にIS(元々は各国に支援された組織の一つだった)にすべての責任を負わせ、武器をばら撒いた干渉国とその後押しを受けた軍事勢力を事実上免責するのに大きな役割を果たしました。

もちろんそれは、結果としてそうなったのであって、彼らの真意ではなかったのだと思います。
しかしいかにメディアが自由や民主主義を唱え、本当にそれを信じていたにしても、ことシリア内戦については、結局は国際政治の暗部を取り繕うために、政治的に利用されただけの存在だったのだと私は思うのです。
シリアのことはくわしくないですが、アフリカにも圧政であるがゆえに治安がよく平和でおだやかとされているルワンダのような国があったり、アラブの春がムスリム同胞団のテロを許すことになったエジプトだったりと類似の事例はある。現地に行っても限られた外人向けの相手としか会わず何も見えない人が多い、現地政府の機嫌を損ねられないから事実から目を背けがちという構図も同じに思えます。
これはいい対談。個人的にも言いたいことがたくさんあるが、特にジャーナリズムのあり方に関しては、日本のメディアの独特の消極性が指摘されてる。

以前韓国のメディアについて聞いた時に、
「韓国の大手の新聞メディアは産業化と民主化を成し遂げて大きなビジョンを失って方向性が見えない。日本のメディアはどうか?」
と逆に聞かれて言葉に詰まってしまった。

なぜなら、日本のメディアはそれと比較すると基本的に何も成し遂げていない。歴史の当事者としてメディアが活躍してこなかったツケが今のジャーナリズムの不在を作り出しているように思う。
シリアの辺境の村に、青年海外協力隊として2005年から約2年間住んでました。その感覚からすると、このお二人の感覚は、それはそれで偏っている気がします。もちろん独特の息苦しさはあったものの、少なくとも当時はとてもいい国で、日本よりも幸せに過ごしている人が多かった印象です。欧米型の民主主義を押し付けるだけでは、決してこの課題は解決しないかと。
アサド大統領は「最悪の独裁者ランキング」の10位以内に数えられる常連であり、シリアの人々は間違いなくアサド政権の退陣を望んでいる。ところがロシアやイランはアサドに敵対する反体制派をテロリスト呼ばわり、欧米はシリアに巣食うISをテロリスト呼ばわり、隣国のトルコはシリア内のクルド人勢力をテロリスト呼ばわりして、それぞれの論理でシリアに介入し、状況を引っかき回している。そして肝心のアサドの処遇については、スルーされているのが現状だ。ただシリアの市井の人々も、アサドを退けた後のビジョンが持てないでいるので、そこをISや大国に付け入れられた形だ。とにかく日本でもっと報道され、関心を持つべき事項であることは間違いない。
民主主義のあり方とジャーナリズムのあり方を深く考えさせられた。こういう記事、NewsPicksでもっと読みたい。
特に、組織でジャーナリズムを追求するにあたってのコストとリスクのとり方は考えさせられるなあ。圧倒的リアリティ