今さら聞けない「日韓関係」…対立の構造と背景にある歴史
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戦後、日韓の対話の前提となっているものは、国際法に基づく、協定や宣言であった。
いま、それらがかつての不平等な国際関係や、両国の権力層の恣意が大きな影響を与えた「虚構」であったことは人々の目から隠す事が出来なくなっている。人々の言論は国という機関を通さず、発信され同じ意見を持つ人々に共有される。
韓国の人々が負った傷に塗り重ねられた「虚構」という薬は新たな副作用を引き起こし、傷の痛みを生む原因や療法などが自分たちにも分からず、ただ痛みを訴える他すべがない。
日本の人々は自らの先人が犯した罪と自らの感情の間で溺れ、自分たちに都合の良い「虚構」にすがることでそれらを忘れ去り、気持ちを落ち着かせる他ない。
いま両者は共に同じ「虚構」の中に棲むが、解釈の違いを乗り越えられずにいる。
一方は、その虚構が虚構たることを信じ、訴える。
一方は虚構がいまだ成立せんことを疑わない。
それでも私は想い、秘かに信じる。
両国の対話が平行線を辿ろうとも、私たちは歴史上最も密接に絡み合い、人々は往来し、文化は交流し、そのつながりは今もなお積み重なる他者であること。
それに基づく我々個人間の親和性から実現する「人々の友好」を。
私はそれが決して「虚構」ではないと信じている。