組織を変える可能性は、面倒な対話の先にあり
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リクルートマネジメントソリューションズで行ってきた社会構成主義/ナラティヴ・アプローチを学ぶゼミの最終回レポートです。
この記事のタイトルになっている、「面倒な対話」ということについて、これが私にとって今大きな関心でもあります。
様々に発展した技術、あふれかえるばかりの情報、多くの知識、そういったものは近代によって大いに発展しましたが、しかし、それらが私たちの日々の中に、しっくりこない、よく生かされているように思えないことはなぜなのでしょうか。それは、面倒なプロセスを実践していかないことにあると私は思います。
その面倒なプロセスこそ、「対話」と呼ばれるものです。
物的・観念的に存在していることと、実践されることの間の溝にどのように架橋していけばよいのか、ということが今問われているのだと思います。それは新たな物語を私たちが紡いでいくことであろうと思います。
この点について、記事の中には、夏目漱石の話を述べていますので、よろしければご一読下さい。
付け加えるならば、ウィトゲンシュタインに学んだイギリス生まれの哲学者スティーヴン・トゥールミンの著作『近代とはなにか』には、このような記述があります。
「われわれの任務は,われわれが継承した近代を人間化することによって,それを改善すること,さらには再生することである」(Toulmin, 1990)
私たちは、近代が生み出してきた素晴らしいものを否定するのではなく、どのようにそれらを意味あるものとして、人間化できるでしょうか。
そこにどのように私たちは取り組んで行ったらよいでしょうか。
対話とかナラティヴと言われるものは、近代の生み出した様々な成果を再文脈化させることであると思います。
ゼミに参加したメンバーの皆さん、あるいは、読んでくださった方々が、近代を人間化する日々の只中にあるプロジェクトに参加する同志として、連帯してくださることを切に願っています。
ゼミに参加してくださった皆さん、ありがとうございました。
また、シリーズを通して読んでくださっている方が多くいらっしゃると聞いておりますが、読んでくださり、誠にありがとうございました。この域に達してないな。オープンに発想を広げる打ち合わせって中々直面しなくて、課題解決のために何するかって話が多い。それなのに目的がずれていたり、やたら長引くのはもっと効率化したいし、そうしてできた時間でもっと考えることに頭使いたい。