【新】村木厚子の「あきらめない」生き方

2019/5/26
【村木厚子】ずっと働き続けたい
ずっと働き続けたい――私がいつしかそう思うようになったのは、父の影響が大きかったと思います。
自然と「大人になったら、自分で働いて、食べていかないといけない」「結婚したとしても、仕事はずっと続けたい」と考えるようになったんです。
【村木厚子】郵便局のアルバイトで知った「働く楽しさ」
郵便局の年賀状仕分けのアルバイトをした当時は、郵便番号が導入されたころでした。
職員さんはまるで忍者が手裏剣を飛ばすように、年賀状を素早く、正確に棚に仕分けていきます。その見事なプロの技に感心しました。
どんなアルバイトをするときでも、その仕事ならではの面白さや工夫のしがいがあり、働くことが楽しいと思えたことはとてもいい経験でした。
【村木厚子】県庁「女性の仕事は庶務」にショック、労働省に入省
「女性職員の仕事は、庶務になります」
県庁の面接の際にこう言われて、私はショックを受けました。
最初から「女性職員の仕事」と区別されるような環境では、長く働き続けることは難しいかもしれないと感じました。
だったら、国家公務員がいいかもしれない。そう思ったところに国家公務員の最終の合格通知が来ました。
【村木厚子】「女性だからお茶くみ」に新人はどう対応すべきか
「申し訳ないが、あなたにはお茶くみをお願いすることになりました」
初登庁した日、直属の上司になる男性の係長に、頭を下げられながらそう言われました。
【村木厚子】残業手当の男女格差問題
1年目で初めてしでかした大失敗のことも、今でも鮮明に覚えています。
【村木厚子】残業月200時間以上、メンタル危機を脱した長期出張
労働省に入って1年目の係員のときは、月に200時間ほど残業をしていたとお話ししましたが、入省4年目で外務省に出向すると、それ以上の激務となりました。
労働省の深夜残業が2時までだとしたら、外務省では3時までといった具合です。
外務省では一人ひとりが膨大な量の仕事を抱えていて、みんなが“一人親方”状態。誰かに相談できるような環境ではありませんでした。
【村木厚子】子育てと激務の両立を乗り越えた「開き直り」
私は26歳で結婚し、29歳で長女を、35歳で次女を出産しました。長女のときは6週間、次女のときは8週間の産後休業のあと、すぐに仕事に復帰しました。
夫も私も役所勤めの共働き。それに、私は高知、夫は北海道の出身で、どちらの親も頼ることはできません。
島根県の労働基準局に監督課長として異動になり、子連れ赴任をしたこともありますし、夫が長野赴任となり、2年半ほど別居状態になったこともありました。その時期に約1カ月のスイス出張が入ったこともあります。
【村木厚子】公務員人生、最大の試練
40代半ばになると、体力の衰えを感じるようになりました。以前のように徹夜のような無理がきかなくなり、老眼も進んでくる。
50歳になったときに、私は今よりも成長できているかしら。これからは下り坂になるんじゃないかな。そんなふうに感じることが多くなりました。
そんな中で、障害者自立支援法の制定に携わることになりました。2003年、47歳のときです。振り返ってみると、これが私の公務員人生で最も大変な仕事でした。
【村木厚子】局長就任。「まさかの逮捕」でわかったこと
いざ50代を迎え、52歳のときに雇用均等・児童家庭局の局長になりました。局長は省庁を構成する局という1つの大きな組織のトップです。
ところが私は大阪地検特捜部に呼ばれて、逮捕されてしまいました。2009年6月のことです。
私がこの事件を通じて最も強く感じたのは、人はある日当然、全く違う立場に転じることがあるのだということでした。
【最終話・村木厚子】自分の道を歩き続けるコツ
ふと気づいたら60代になって、ずいぶんと遠くまで歩いてきたなと感じている私が言えることは、自分のやり方でいいということです。
その代わり、あきらめてしまわないことが大切です。とにかく歩き続けていれば、いつか自分の求める場所へつながっていくはずです。
歩き続けるコツは──。
連載「イノベーターズ・ライフ」、本日、第1話を公開します。
(予告編構成:上田真緒、本編構成:田村知子、編集:上田真緒、撮影:遠藤素子、デザイン:今村 徹)