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【必読】今こそ学ぶ、フェイクが生む「教養」としての宗教戦争

NewsPicks編集部
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  • 記者、ディレクター

    日本で報道に携わっていると、海外ネタを扱う際に必ず「日本との関わり」が求められがちですが、勿論興味を持ってもらうためにとても大切なことであるものの、関わらないところで大事な知るべきニュースは日々沢山起きています。

    世界を包括的に理解しようとするとき、遠い国の関係ない話、ではなく、必ずどこかで繋がってくる重要な現実。

    今回、スリランカでの事件取材を通して描きましたが、決して一部の「過激派」を生むのは仏教だけではなくあらゆる宗教、民族に言えることです。普遍的に理解するときにまず机上の空論ではなく、実際に何故彼らが憎悪の連鎖を招く事態となるまで「闘う」のか、あくまで一般の市民の心の奥底を探ることから理解していければ、と目線を可能な限り落として掘り下げてゆきました。

    取材の当初は「宗教の違いは関係ない。イスラム教徒とも平和に暮らさなければいけない」と穏やかに語っていた仏教徒夫婦。2時間程じっくりと話し込んでいくと、次第に心の奥底に抱える不安と恐怖が顔を覗かせ始めます。
    「イスラム教徒は、仏教の国を乗っ取ろうとしているのだ。スリランカをアラブの国にしようとしているのですー」
    これが、過激な思想の極端な差別主義者から発せられた言葉ではなく、あくまで温厚な一般市民が普段口にせず奥底にしまい込んでいた感情であることが、最も大切なポイントです。

    第2章の記事で執筆させて頂いていることは、第1章に掲載したショートドキュメンタリーにぎゅっと詰め込まれています。

    文字になっていることが、本当に大袈裟でもなく実際に起きていることだ、ということを、身を持って理解して感じて頂けると思いますので、是非、映像の持つ力も体感してみて頂けたら光栄です。


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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    宗教間の紛争は、小さなきっかけであっという間に勃発します。民族間紛争もそうですが、店の前に車を止められて邪魔だから抗議したとか、道でぶつかったとか、そんなことからどんどん広がっていった宗教間、民族間の紛争はいくつもあります。マレーシアで路線バスに乗っていて、華人のチンピラがヒンドゥー教徒の婦人をからかった、というので、ヒンドゥー教徒の男性たちが一斉にガタっ、と立ち上がったのを見たことがあります。
     もちろん、個人同士のトラブルはどこでも起きるものですが、それが紛争に広がりかねないのが多民族・多宗教社会です。多民族・多宗教社会は、どうしても偏見や不安という火種を常に抱えています。小さないざこざでも、噂が広がり、双方が仲間を呼び、過激宗教組織や民族組織が介入し、その日のうちに死者の出る衝突になったりします。
     こういう、衝突が広がっていく仕組みは何もSNSができて始まったことではなく、大昔から繰り返されてきたパターンです。隣村の~人の誰それは魔女である、~人が子供をさらった、~人が疫病の発生源である、という噂で始まった紛争は世界中にあるし、火種が日頃からの偏見や不安であったことも、宗教組織などが衝突を煽ったりするのも定型パターンです。ロシアや東欧で何度も突発したユダヤ人襲撃も同じだし、20世紀末の旧ユーゴスラビア紛争でも多くの戦闘の始まりはそういった過程です。スリランカもまた、同様の火種を抱え、昔から多くの紛争が起きています。
     米国は多宗教、多民族社会であることで世界中から人材を集め、その強さを誇っていますが、本当に米国のようになれた国は他にはありません。衝突の発生を防ぐためには、多方面で何重にも予防する仕組みを設けておかねばなりません。それは偏見と不安を防ぐ教育であり、政府による宗教の管理であり、民族間の不均衡を防ぐ選挙制度や経済政策であり、時に強権的な治安維持も含まれます。そこにSNSの使い方の教育、あるいは法律による規制も必要、ということでしょう。フェイクニュース自体は中世の魔女の噂話と同じものですが、噂を高速で広める手段が一つ増えた、ということでしょう。


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    ジョーシス株式会社 シニアエコノミスト

    今こそ、E・サイードの「イスラム報道」と「オリエンタリズム」を再び紐解くべきです。その後、どちらも批判が存在していますが、宗教や異なる文化を理解するための重要な視点がふんだんに入っていることには変わりがありません。

    C・ギアツ「劇場国家論」、B・アンダーソン「創造の共同体」、E・ボブズホーム「帝国の時代」、F・ブローデル「地中海」も必読。私たちの民族や宗教、国家に対する認識がどのようにして作られているのか、あるいは、政治やメディアによって作り上げられてしまうのか、そして、本来はどう理解すべきなのか、とてもよく分かります。

    全て日本語で良質の翻訳が出版されています。これらの書籍は、一過性の、センセーショナリズムに基づいた、薄っぺらい報道や、SNSの流言に惑わされない、歴史や民族、国家、宗教をみる軸を形作ってくれるでしょう。

    ソーシャルメディアのない時代から、メディア、もっと言えば、口コミや流言などは存在しました。SNSによって、その形態や伝播する早さが変わったと考えられるでしょう。

    それにしても、メディアやテクノロジーが変わっても宗教や民族、異文化に対する、誤解を生む本質的な仕組みは変わりませんね。日常的には、異文化や異なる宗教に対する理解や平和的共存が大切と言いつつも、塩崎さんが指摘されるように、ごく些細な火種が、一気に大火となってしまうことは、多少に違いはあれども、本当に変わらない課題であるし、人類が学ばないことの一つ。


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