【猪瀬直樹】『昭和16年夏の敗戦』と『ミカドの肖像』
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「令和」に使われた「令」は初めてですが「和」は元号としては20回目の使用です。日本人好みなのでしょう。聖徳太子の「和を以って尊しと為す」以来、この「和」は諸刃で、秩序の維持にはよいが、すべてを曖昧にする要素も含まれています。
日本人の意思決定は、誰がしたかわからない、つまりしない、そういう仕組みが「和」に通じるという陥穽があります。霞ヶ関の事務次官はなぜ一年交代なのでしようか。ゴーンさんのようにどんどん決めてしまうといつかやられる、田中角栄もそうでした、同質性を前提にした嫉妬心も「和」を補強しているところがあります。無難に長続きするには門閥・学閥・閨閥に溶け込むしかなく、決して出る杭にはならない。民間企業まで蝕んでいる病いですね。
「和」のよいところもたくさんあるのですが、目立つことを恐れていてはオリジナリティが育ちません。日本には「意思決定の中枢がない」、責任の所在が不明確、リーダーシップの不在、というのはよくいわれてきた問題です。ただ、これが天皇に由来するものであるかどうかはかなり疑問です。丸山真男は戦後すぐに発表した『超国家主義の論理と心理』で、日本社会の決定者不在と責任の所在の不明であることの原因を天皇制に帰しました。
明治維新にしてからが、天皇を担いだはずでしたが、天皇は意思決定者ではなく、密勅やご宸翰が横行しました。江戸幕府の将軍のほとんども意思決定などしなかったし、江戸時代のお殿様も多くは「そうせい、そうせい」という言うばかりで意思決定などしないことがむしろ美徳とされてきました。ことによると、明治天皇は当初、島津家をモデルにした薩摩人たちによって強力な指導者として育成されようとしていたのが、西郷らが下野して、長州人たちが毛利家風の君主にした、といった議論もできるかもしれません。
天皇の空虚さということについては丸山だけではなくロラン・バルトなど様々な分野でいわれてきました。それとは対照的に、常識外れの指導力を発揮した後醍醐天皇をとり上げたのが網野善彦の『異形の王権』(1986)です。天皇に日本社会のカギがある、という見方は20世紀を通して国内国外で多くありましたが、よく見るとその論じ方は変化してきています。猪瀬さんは、僕がとても信頼してるノンフィクション作家だ。特に僕がとっても弱い日本の財政などの運営問題について非常によく取材して明快に構造を書き上げている。「日本国の研究」などはその素晴らしい作品だ。