【猪瀬直樹】『昭和16年夏の敗戦』と『ミカドの肖像』

2019/4/11
『BIGMAN』への連載
国民金融公庫から融資を受けて『天皇の影法師』の取材活動を進めていると、途中で資金繰りが怪しくなることが予想できた。
そこで書下ろしの『天皇の影法師』とは別に、一本だけなら原稿料をもらって連載しても時間を確保できるはずと考えた。
『家庭画報』で知られる世界文化社がその男性版『BIGMAN』を創刊するらしい、よい筆者を確保するために原稿料をかなり高く設定するらしい、とのうわさが聞こえてきた。
ちなみに総合雑誌を刊行している小さな出版社は、400字詰め原稿用紙1枚で原稿料は2000円、大手出版社になるとそれが4000円くらいになる。『BIGMAN』は6000円払う。
僕が文芸誌にはあまり原稿を書かずに、高い原稿料を支払う雑誌にしか書かないのは、製作コストをかけないとよい作品ができないと確信していたからだ。
こうして『BIGMAN』に連載を始めたのが『昭和16年夏の敗戦』だった。
日本国家の意思決定を描く
日米開戦前の昭和16年(1941年)に、内閣総力戦研究所という組織が発足して、霞が関や大手企業、大学などから若手の俊才が集められた。しかし、すでに風雲急を告げている。研究所の発足が遅すぎたのだ。
そこで始めたのが日米戦争のシミュレーションだった。アメリカの対日石油禁輸を前提に「日本軍がオランダ領インドネシアへ石油を確保に侵攻したらどうなるか」という課題が設定された。
シミュレーションは、初めは有利に展開するが3、4年後にソ連が参戦して日本は敗北する、と原爆投下以外は実際の戦争の経過をほぼ正確に予測するものだった。
1941年8月27日と28日、研究生たちは首相官邸でこの結論を近衛文麿内閣にプレゼンした。報告を聞いた当時の陸軍大臣、東条英機は「これはあくまで机上の演習であり、実際の戦争というものは君たちの考えているようなものではない」と論評した。
その秋、10月に東条内閣が発足すると、政府と大本営の合同会議が連続して開かれ、日米戦争をやるかやらないかと討議することになる。
その論議を分析してみると、確固とした意思決定のないまま日本は戦争に突入していったことがわかった。